中京の坂だより・2     

名古屋の街は徳川氏が清洲城を捨て、南に熱田の先まで平野が拡がる現在の名古屋城の位置に城を造り、街を興して発展したもので、戦国時代の終わりを表す平城の設定である。
したがって街の中央部および西部は平坦な地形で、坂道はない。
しかし、東部は丘陵地で地名にも「丘」の表示が多い。

昭和12年に東山公園が造成されるまでは、市街地の東は覚王山あたりまでで、丘陵地が住宅地として本格的に開発されるのは戦後である。
「坂道」は多いが、東京のように名前のついたものは少ない。
赴任して半年弱、歩き回る余裕もなく、十分に調査できていないが、 有名なものを紹介してみたい。

[茶屋が坂] 
茶屋が坂を坂下から見る。
中央が基幹バスのレーン。
安全地帯も見える。

坂下から見る。
坂上方向が名古屋城方

名古屋で最も知られている坂道のひとつ。
名古屋城の清水口から猪子石を経て秀吉が家康に敗れた地、長久手に至る山口街道(別名長久手街道)沿いにある坂道。
この道は名古屋の城下と東部地域を結ぶ交易の道であった。
近年地下鉄(日本初の環状運転をする地下鉄)が開通し、「茶屋ヶ坂駅」ができ、バスターミナルもつくられた。

この辺りはこの名前があふれていて、眼科、クリニック、マンション、食堂などこの名を 冠した施設がいっぱいである。
言うまでもなく銀行や会社の支店・営業所の地名にも使用されている。 住所表示、通り、公園名にも使われているがその表示はまちまちである。
駅は「茶屋ヶ坂」、大きな公園の名も「茶屋ヶ坂」であるが、住所は「茶屋が坂」、 通りは「茶屋坂通」である。

坂名は、お察しの通りこの地に1軒の茶店があったためついたと言われている。
坂道は片側2〜3車線の大通りで、 少しカーブもあり、 堂々たるものであるが いささか風情に欠ける(これは名古屋の街全体に言えること)。
通りのセンターを基幹バスと言われるバス路線が通っていて、 路面電車のように安全地帯が設けられている。

坂道の北側の地名が「茶屋が坂」であるのに対し、 公園のある南側は「赤坂町」である。
赤坂も文字通り赤土の坂で、長久手の戦の夜明けに軍勢が通ったと言われている。
近くにある浄水場の傍には神道学者・吉見幸和の墓所がある。

地下鉄「茶屋ヶ坂駅」入口。町名は「茶屋が坂」
通りの名前は「茶屋坂通」

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