中京の坂だより・3     

東南東に向かって下る現在の月見坂
正面は田代小学校
月見坂

 「愛・地球博」が始まり、名古屋の街は何かと活気に溢れている昨今である。 万博会場へのメインライン、地下鉄東山線・覚王山駅の傍にあるのが「月見坂」である。 駅の4番出口を出て広小路通りを南東に入り、東に向かって田代小学校方向に下る坂が この坂である。名前の通り月見の名所で、この名がついた。広小路通りの南の坂のある 地域は「観月町」という町名で残り、大通りの北側は「月見坂町」として名を残している。 広小路通りも東に向かって下る坂道となっていて、バス停もあるので、こちらが月見坂と 誤解されそうである。

いずれにしても名古屋の街の東の高台にあたるので、東から上る月見には絶好の ポイントであったと思われる。この先に尾張徳川家の別荘があり(瓶入山と言われる地域)、 ここにいたる坂道の景色の良さは定評があったらしい。現在はマンションが立ち並ぶ 坂道を下った、 田代小学校の筋向いに茶店があり、「坂本屋」(坂のふもとの意)と 呼ばれたと言う。

「さやけしな秋の夜ごとの 月見坂 高峰をかへていつる光は」(正韶)といった歌が 残されている。

 

広小路通りの雄大な坂道

こちらが月見坂と誤解されそう。
左が月見坂町、右側が観月町、坂下の先には末盛城址がある (兄・信長に殺された織田信行の城があった)。

 

また、駅名にある覚王山は「覚王山日泰寺」として有名である。
ペッペが見つけた釈迦の遺骨(仏舎利)はシャム王室からセイロン、 ビルマ、 日本に 分けられたが、 これをどこに祀るか意見が紛糾、 明治37年この日泰寺に納められた。
このためこの寺はいずれの宗派にも属さず、 住職は各宗派の代表が輪番で勤める 特異な寺院である。タイ王室とのつながりを示すものも多く、 参詣者で賑わっている。

 

日泰寺の山門をのぞむ。一応門前町
日泰寺にある五重塔

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