![]() |
東南東に向かって下る現在の月見坂
正面は田代小学校 |
いずれにしても名古屋の街の東の高台にあたるので、東から上る月見には絶好の ポイントであったと思われる。この先に尾張徳川家の別荘があり(瓶入山と言われる地域)、 ここにいたる坂道の景色の良さは定評があったらしい。現在はマンションが立ち並ぶ 坂道を下った、 田代小学校の筋向いに茶店があり、「坂本屋」(坂のふもとの意)と 呼ばれたと言う。
「さやけしな秋の夜ごとの 月見坂 高峰をかへていつる光は」(正韶)といった歌が
残されている。
広小路通りの雄大な坂道
こちらが月見坂と誤解されそう。
左が月見坂町、右側が観月町、坂下の先には末盛城址がある
(兄・信長に殺された織田信行の城があった)。
また、駅名にある覚王山は「覚王山日泰寺」として有名である。
ペッペが見つけた釈迦の遺骨(仏舎利)はシャム王室からセイロン、 ビルマ、 日本に
分けられたが、 これをどこに祀るか意見が紛糾、 明治37年この日泰寺に納められた。
このためこの寺はいずれの宗派にも属さず、 住職は各宗派の代表が輪番で勤める
特異な寺院である。タイ王室とのつながりを示すものも多く、 参詣者で賑わっている。
![]() |
![]() |
日泰寺の山門をのぞむ。一応門前町
|
日泰寺にある五重塔 |