【追追記】

 しつこいようですが、神社二の鳥居前の道路である「宮の前の坂」について、現地を再度訪れた時に気がついたことを記しておきます。

 本殿に向かって入口から左を見ると(図-17)昔の境界とわかる石積が歩道植栽の中にあり、右を見ると(図-18赤線)遠く見通し線上に道路が見えるのです。これは昔の道路の名残であろうかと思い、調べると帝都地形図にその明快な痕跡を見つけました。 図-19でわかるように石積が折れているのは昔の道路端に沿わせた名残だったのです。
 新道ができる前は、石積もここで折れることなく、もっと先の道路の方まで延びていて、神社の敷地も今より広かったはずだと思います。
 図-4の明治42年測量図以来、戦前までは「宮の前の坂」は北へ延伸はしたが、神社前は変わっていないことがわかります。現在のようなSカーブの線形(青の点線)に変わり、幅員も広くなったのは、おそらく昭和の後期ではないかと思われます。

 帝都地形図というのは戦後すぐの地形を1/3000で測図したもので、大変参考になります。
 図-4では縮尺が1/20,000なので細かな部分がわかりにくいのです。

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