平成「富士見坂」事情 2006.11 | |||||
2007.10.28 「現在富士山を望める坂」更新 . 2009.1.30 一部訂正 . | |||||
都内23区において名付けられた「富士見坂」は、平成18(2006)年どのようになっているのか? 都心から見える「富士見坂」は消滅の危機にあると言われて久しい。唯一まともに見える坂として挙げられる荒川区日暮里の「富士見坂」は、その姿は片翼ながら、眺望を保全しようという熱い運動により現在に至っているが、度々持ち上がる高層建築の計画は、その風景遺産を脅かすことになっている。都心にあった富士見坂はこのようにして次々とその面影を失い、名を掲げた坂の標は墓標と化していきつつある。こうした中、2005年、国土交通省関東地方整備局において「関東の富士見百景」のひとつとして「東京富士見坂」が選定された。これを機会に平成の今の「富士見坂」事情を下記にまとめてみた。 | |||||
『富士見坂』 | |||||
赤字 現在も富士山が見える坂 | |||||
*=東京富士見坂 | |||||
区 名 | 坂 名 | 別 名 | 所 在 地 | ||
1 | 足立 | ふじみ坂 | 新田3丁目ハートアイランド内(2005年完成) | ||
2 | 荒川 | 富士見坂 * | 妙隆寺坂 花見坂 | 西日暮里3−7と8の間を北東に上る | |
3 | 大田 | 富士見坂 | 田園調布1−11と32の間を北東に上る | ||
4 | 〃 | 富士見坂 | 鵜の木1丁目15と17の間 | ||
5 | 北 | 富士見坂 | 赤羽西6丁目と桐ヶ丘1丁目の間善徳寺の前を東北に上る | ||
6 | 豊島 | 富士見坂 | 高田1−33と23の間を南西に下る | ||
7 | 渋谷 | 新富士坂 | 中山坂 | 恵比寿南3−9と10の間を南に上る | |
8 | 千代田 | 富士見坂 | 神田小川町3−10と14の間を北東に上る | ||
9 | 〃 | 富士見坂 | 九段北3丁目と富士見町2丁目の間を東に上る靖国神社北脇 | ||
10 | 〃 | 富士見坂 | 水坂 | 紀尾井町と永田町2丁目の間を東に上る | |
11 | 文京 | 富士見坂 | 本郷2−2と3の間を北へ上る | ||
12 | 〃 | 富士見坂 | 不動坂 | 大塚2丁目と5丁目の間を東に上る | |
13 | 港 | 富士見坂 | 芝公園内 | 芝公園4−3、東京タワー南東前から観音堂まで南に数段上る | |
14 | 〃 | 新富士見坂 | 南麻布4−5と10の間を曲がりながら東に上る | ||
15 | 目黒 | 富士見坂 | 目黒1−1(都立教育研究所)と三田2−10の間を東に上る | ||
16 | 〃 | 富士見坂 | 目黒区青葉台4丁目2,3と5,6の間 旧松見坂東 | ||
現在「富士見坂」として富士山を望むことができるのはこの3坂(赤字)となっている。しかし、文京区の「富士見坂」においては坂のごく一部の地点で見えるのであって、普通に歩いて気付くほどではない。また、足立区の「ふじみ坂」は大規模開発によってできた集合住宅内の道に付けられたもので、自然発生的に呼び習わされ、継承されて現在に至っているという「富士見坂」とは一線を画していると思われる。となると、名実ともに「富士見坂」と呼ぶにふさわしい坂は「日暮里の富士見坂」のみとなり、まさに都心においては奇跡的に残った風景遺産と言えよう。 | |||||
「富士見坂」の別名を持つ坂 | |||||
17 | 品川 | 八幡坂 | 富士見坂 | 小山6丁目と荏原7丁目の間を西に上る | |
18 | 〃 | 宮益坂 | 富士見坂 | 渋谷1−12と2−19の間を東に上る坂上青山学院にいたる | |
19 | 〃 | 南郭坂 | 南部坂 富士見坂 | 東2丁目と3丁目の間を北東に上る | |
20 | 世田谷 | 岡本三丁目の坂* | 富士見坂 | 岡本3−35と36の間を北東に上る | |
21 | 文京 | 藤 坂 | 富士坂 禿坂 | 小日向4−3と4の間を北東に上る | |
22 | 〃 | 御殿坂 | 大坂 富士見坂 | 小石川植物園と白山2丁目の間を北東に上る | |
23 | 港 | 大横丁坂 | 富士見坂 | 西麻布3−3と15,16の間を南に上る | |
24 | 〃 | 青木坂 | 富士見坂 | 南麻布4−10と11の間を北東に上る | |
*=東京富士見坂 | |||||
消滅した『富士見坂』 | |||||
25 | 豊島 | 富士見坂 | 不二見坂 | 豊島区目白1丁目 学習院大学構内 | |
26 | 新宿 | 富士見坂 | 新宿区市谷本村町自衛隊敷地内 | ||
27 | 港区 | 富士見坂 | 港区元赤坂 迎賓館敷地内 | ||
別名に「富士見坂」を冠していた坂についても、現在では世田谷の「岡本3丁目の坂」を除いてはみな見えなくなっている。都心部の千代田区、港区、文京区、新宿区、渋谷区 豊島区では高層の建物が増え始めた頃から次々と視界を遮られてしまった。 | |||||
かつて富士山が見られた坂 | |||||
1 | 板橋 | 清水坂 | 地蔵坂 隠岐坂 隠岐殿坂 | 板橋区志村2丁目4と7の間 | |
2 | 大田 | 雪見坂 | 東雪谷2−17と19の間を北東に上る | ||
3 | 〃 | 蝉 坂 | 上池台3丁目 | ||
4 | 新宿 | 見晴坂 | 中落合1丁目 | ||
5 | 〃 | サイカチ坂 | 駿河台2丁目 | ||
6 | 〃 | 女 坂 | 猿楽町2丁目 | ||
7 | 文京 | お茶ノ水坂 | 本郷1丁目 | ||
8 | 〃 | 横見坂 | 横根坂 | 湯島2丁目 | |
9 | 港 | 霊南坂 | 虎ノ門2丁目と赤坂1丁目の境 | ||
10 | 〃 | 鮫河橋坂 | 元赤坂2丁目と新宿区若葉1丁目の境 | ||
11 | 目黒 | 行人坂 | 条件によって僅かに見える | 下目黒1−4と8の間を北東に上る | |
12 | 〃 | 茶屋坂 | 三田2丁目 | ||
13 | 〃 | 新茶屋坂 | 三田2丁目と中目黒2丁目の境 | ||
14 | 〃 | 別所坂 | 中目黒1丁目7と2丁目1の間を北東に上る | ||
これらの坂名は「富士見坂」を謳ってはいないが、富士を望める坂であった。「雪見坂」は富士の山頂に冠した雪を表し、「横見坂」は富士山を横に見るということであったという。また「見晴坂」も遠くに富士山を見ることから付けられたのであろう。これらの坂はいすれも風光明媚な場所として広重の絵図などに描かれている。 | |||||
現在富士山を望める坂 および 「東京富士見坂」 | 2007/10/28 : 27〜31項 ☆印 追加 | ||||
1 | 板橋 | 常盤台1丁目の坂 | 常盤台1丁目59と60の間 | ||
2 | 大田 | 二本木坂(坂上) | 西馬込1丁目14 <写真> | ||
3 | 〃 | 相生坂 | 仲池上1丁目2 <写真> | ||
4 | 〃 | 大坊坂 | 池上2丁目1と2の間 <写真> | ||
5 | 〃 | 八幡坂 | 仲池上1丁目4と5の間 <写真> | ||
6 | 〃 | 馬坂 | 田園調布5丁目3と5の間 <写真> | ||
7 | 〃 | 急坂 | 〃 5と6の間 <写真> | ||
8 | 〃 | 池上2丁目の坂 | 池上2丁目1と南馬込6丁目33の間 <写真> | ||
9 | 〃 | 南馬込4丁目の坂 | 南馬込4丁目43と44の間 <写真> | ||
10 | 〃 | 南馬込5丁目の坂 | 南馬込5丁目9と10の間 <写真> | ||
11 | 〃 | 南馬込6丁目の坂 | 南馬込6丁目32と34の間 <写真> | ||
12 | 〃 | 仲池上2丁目の坂 | 池上2丁目10と11の間 <写真> | ||
13 | 〃 | 仲池上の坂 | 仲池上2丁目1と1丁目9の間 <写真> | ||
14 | 〃 | 仲池上1丁目の坂 | 仲池上1丁目8と9の間< <写真> | ||
15 | 〃 | 久が原の坂 | 久が原4丁目37と6丁目7の間 <写真> | ||
16 | 〃 | 雪谷の坂 | 東雪谷5丁目21と22の間 <写真> | ||
17 | 〃 | 田園調布4丁目の坂(1) | 田園調布4丁目30と33の間 <写真> | ||
18 | 〃 | 〃 (2) | 田園調布4丁目13と33の間 <写真> | ||
19 | 〃 | 〃 (3) | 〃 11と38の間 <写真> | ||
20 | 〃 | 〃 (4) | 〃 10と11の間 <写真> | ||
21 | 〃 | 〃 (5) | 〃 40と3の間 <写真> | ||
22 | 〃 | 田園調布5丁目の坂 | 田園調布5丁目1と2の間 <写真> | ||
23 | 〃 | 中原街道 (南東側) | 「東京富士見坂」 | 田園調布本町40 <写真> | |
24 | 〃 | 〃 (西北側) | 〃 | 田園調布1丁目10 <写真> | |
25 | 〃 | 山王4丁目の坂(1) | 山王4丁目32と33の間 <写真> | ||
26 | 〃 | 〃 (2) | 〃 31と32の間 <写真> | ||
27 | 〃 ☆ | 妙見坂 | 池上1丁目32 <写真> | ||
28 | 〃 ☆ | 猿坂 | 上池台5丁目22と26の間 <写真> | ||
29 | 〃 ☆ | 上池台5丁目の坂 | 上池台5丁目21と22の間 <写真> | ||
30 | 〃 ☆ | 上池台3丁目の坂 | 上池台3丁目4と5の間 <写真> | ||
31 | 〃 ☆ | 東雪谷3丁目の坂 | 東雪谷3丁目9と12の間 <写真> | ||
32 | 世田谷 | 行善寺近くの石段 | 瀬田1丁目 | ||
33 | 〃 | 瀬田4丁目の坂 | 瀬田4丁目7と41の間 (階段) | ||
34 | 〃 | 岡本1丁目の坂 | 岡本1丁目32と18の間 | ||
35 | 〃 | 岡本3丁目クランクの坂 | 岡本3丁目28と29の間 | ||
36 | 〃 | 岡本3丁目39の坂 | 岡本3丁目39と25の間 | ||
37 | 〃 | 瀬田5丁目の坂 | 瀬田5丁目9と26の間 | ||
38 | 〃 | 世田谷(駒沢通り) | 世田谷中町4丁目6と5丁目16の間 | ||
39 | 〃 | 大山街道の坂 | 瀬田1丁目 | ||
40 | 〃 | 瀬田2丁目の坂 | 瀬田2丁目31と32の間 | ||
41 | 〃 | 世田谷(玉川通り) | 瀬田3丁目31.32と4丁目14・15の間 | ||
42 | 目黒 | 目黒1丁目の坂 | 「東京富士見坂」 | 目黒1丁目2と3の間 | |
43 | 〃 | 目切坂 | 〃 | 上目黒1丁目8と青葉台1丁目6の間 | |
44 | 〃 | 大岡山2丁目の坂 | 〃 | 大岡山2丁目10と12の間 | |
45 | 〃 | 目黒(玉川通り) | 青葉台3丁目1と4丁目4の間 | ||
46 | 〃 | 青葉台2丁目の坂(1) | 青葉台2丁目9と7の間 | ||
47 | 〃 | 〃 (2) | 青葉台2丁目6と7の間 | ||
48 | 杉並 | 善福寺界隈の坂 | 「東京富士見坂」 | 西荻北5丁目と善福寺1丁目の境 | |
49 | 〃 | 〃 | 〃 | 善福寺1丁目4と13の間 | |
50 | 〃 | 〃 | 〃 | 善福寺1丁目13と18の間幼稚園脇 | |
51 | 〃 | 〃 | 〃 | 善福寺1丁目16・17と27の間 | |
<写真> 提供:小林奎一郎氏 これらは現在坂上から「富士山」が望めるスポットである。その殆どが国分寺崖線から多摩川へ下りる坂となっている。「坂学会」メンバーが地道に歩いて確認したものもあり、大田区については新たなスポットとしてのその殆どは小林奎一郎氏の手(足)によるもので、その努力に敬意を表したい。「富士見坂」とはこのようにどこからも見えている時代には富士見坂としての固有名詞にはなりにくい。その意味でこれらを現在「富士見坂」と名付けるにはこれからかなり時間が必要であろう。富士山が見える坂であることがその坂の特徴となって初めて名付けられてくるのであり、その意味では十分に候補生ではある。「東京富士見坂」は平成の今、その近辺からはだんだん見えなくなってきているということの象徴でもある。 |
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平成18(2006)年現在の「富士見坂」を見てきた。「富士見坂」の名の初出は「江戸鹿子」(1687)で39の坂名のひとつとして列挙されている。その後江戸の町の市街化が進んで、坂がランドマークとしての機能を持つようになるが、どこからも富士山が見えた頃には坂名とは成り得ず、意外に後発の新規参入となったと思われる。俵元昭氏(地縁社会史研究所所長)の言葉を借りれば、「富士見坂」の坂名発生は集落が都市化する過程のメルクマールと言えるとのこと。都心(千代田、文京、港区等)にあった30近い「富士見坂」あるいは「富士山が見えた坂」は今やその視界を遮られ、郊外区へと場所を移している。そんな中で現在「富士山」を見ることのできる「富士見坂」の眺望を守ることがいかに難しく、大切なことか。2005年に「東京富士見坂」が認定されたが、ここからさらに、残された「富士見坂」の景観保全の一歩前進となることを願っている。 日暮里の「富士見坂」では「ダイヤモンド富士」の時期には坂上はカメラを持った人々で埋め尽くされる。皆が同じ方向に眼をやり、日没の富士山を愛おしく眺めている光景は例年のこととなっている。風景やその土地の履歴を共有する人を繋ぐ「地縁」がそこに生まれ、育まれているといえるのではないか。そうした無形の文化遺産も共に継承されていくのが望ましい。 |
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井手 のり子 |