尾道巡検
2014・12・6(土)
報告者 盃=sakazuki 午後1時、JR尾道駅改札口に参加者9名が集合。 前日倉敷散策を楽しんだグループ、家族ツアー旅行を抜け出てきた会員、尾道を組み入れての旅行中の夫婦会員とそれぞれに改札口前に顔を出した。 この後の過酷な(?)階段歩きに備えて尾道ラーメンで腹ごしらえをした会員が半数のようだ。 豚の背脂が浮いている。これが【尾道ラーメン】・・・濃厚だ。
まずは、駅の一画にて観光案内用の尾道の地図をもらう。一見しただけでなんとお 寺(黒い部分)が多いことか・・・・何故?
そこで簡単に尾道の街の歴史に触れておこう。(観光協会のHPより)
中世より交通の要衝であった尾道は1168年、備後大田庄の年貢積み出しのために蔵屋敷が建てられ、 翌1169年には尾道が公認の港となりました。
1189年には年貢米の積み出し港として栄えはじめ、江戸時代には北海道〜大阪を結ぶ大型船「北前船」の寄港も始まりました。 その繁栄ぶりは「北前船が寄港すると町がひっくり返るような賑わいを見せた」とも言われています。その繁栄により、尾道には多くの富を蓄えるものたちが現れました。
この者たちは豪商と呼ばれ、その財を惜しみなくお寺の建立や町の整備などに投資しました。 そのお寺や町並みは現在でも数多く残り、尾道らしい町並みを作り上げているのです。
尾道と言えば「坂」と「階段」のイメージが濃かったが、ここで初めて"名前のついた坂"となると、ほんの僅かしか無いということに気付く。そこで、名前のついた坂が点在する地域ということで、今回の巡検地域を楕円の範囲に絞って歩くこととした。
崖下をJRの線路が走っていて、踏み切りは住宅へ上がるための階段へと続く。その斜度もかなり急で、驚くばかりだ。
「とろとろ坂」 階段では困難な自転車やバイク用のための、歩道橋を思わせる建造物。
線路のレールが使われているとのことで、むき出しの鉄骨が工事現場を思わせる。
浄泉寺(浄土真宗) 【れんが坂】 「坂名」として知られるのはここ「れんが坂」がメジャーらしい。が、坂の標識は見あたらない。その代わりに古寺ルート案内の石標が設置されている。 綺麗に煉瓦の石畳がこの名を示している。坂の傾斜は緩やかだが、枝別れした先は個人宅への階段へと続く。 「れんが坂」から枝分かれの「階段コレクション」 途中にあったカフェ「れんが坂」。 その先、視界がひらけると、一望に見渡せる尾道の斜面景観。? 階段コレクションは続く。 細い路地のような階段坂が突き当たった所は、階段の踊り場のような場所。鳥居を戴いている先には更に長く階段が続いている。 ちょっと上るのに臆する我々。 W氏が「ここは大林宣彦監督の【転校生】のロケ地ですから・・・」と果敢に上って行った。他のメンバーは下で一休みをしながら、彼の報告を待つ。 【御袖天満宮の階段】
W氏が階段上から撮った写真 御袖天満宮境内から 階段下から
ここまでのルート。狭い坂道、階段で車は通ることができない。
艮神社の境内の脇道は【猫の細道】直線で100mほどもありそうで、猫好き会員が戻るまでしばし待つ。招き猫美術館がある。
千光寺公園(標高144.2メートル)から「しまなみ海道」の景観を楽しみ、暫し頂上にて一休み。
展望台より「文学のこみち」へと下り千光寺入る
尾道観光協会 千光寺公園マップより
長い階段を下り、上りして中村憲吉旧居
【天寧寺坂】 千光寺道の脇に天寧寺の海雲塔(三重塔)へと続く
【千光寺道】 長い階段坂が裾まで続く千光寺への参道。 高低さは40mほどあるだろうか。石畳が整備され踊り場もあって歩きやすい階段になっている。
文学記念室の前を通り
地元の方に聞いて「花あかり」へ。
「巡検を終えて」
一方、ハードとしての【坂】においては、斜面地での道はほとんどが階段で占められており、移動の不便さを感じた。自転車やオートバイにしても難しく
お年寄りや小さい子供にとっては移動が困難で、生活のしずらさを感じさせる。防災の意味でも消火活動等困難を極めるのではないか、地元でのヒアリングをするべきだった。 |