日時: | 2013年11月9日(土) |
参加者: | 9名 |
歩いた坂: | 上天の坂、チョウゴロウの坂、会所の坂、デンデン坂、土管坂、禰宜殿坂 窯坂、カクジロの坂、男坂・女坂、棚井戸の坂、一木橋の坂、ゲンパチ坂 ヒデサの坂、マルゴの坂、セイゾの坂 (計 16坂) |
今回の訪問地は、焼き物「常滑焼」で有名な愛知県常滑市です。焼き物の歴史は古く平安時代に始まっているそうです(参照: 常滑市役所HP)。
平安時代には、丘の斜面に沿ってトンネルを掘って下から薪を焚いて焼くという「あな窯」という構造で、丘陵地帯に窯が広がったようです。常滑層群から粘土が、周辺から材木が採れたことから、焼き物の里となるに相応しかったのでしょう。南北朝時代に衰退するものの、戦国時代になると常滑城三代城主水野監物が千利休とも交流があり、常滑焼の茶道具が生まれたと考えられています。その頃、窯の天井が地上に出て「大窯」という構造に変わっていったそうです。
江戸時代後期からは煎茶の流行にのって、急須が盛んに作られ、伊勢湾周辺、上方、江戸・関東地方に流通しました。窯の構造も連坊式登窯が現れました。明治時代に入ると、都市で下水道が施設されるようになり土管の需要が高まるとともに、海外輸出用の茶器も作られました。常滑は伊勢湾に面し海上交通の要地でもあったため、江戸時代から明治前期にかけて、廻船でも繁栄したそうです。
明治後期からレンガ煙突の石炭窯が普及し、量産工場が林立しましたが、昭和45年大気汚染防止法により燃料の変換を余儀なくされます。今は環境にやさしいガス・灯油・重油や電気を使っているそうです。作家作品では、急須に代表される伝統的な常滑焼が守られている一方、外から移住してきた若い作家さんの息吹が新しい常滑焼を生み出しています。そんな陶芸家の活動を後押しするように、町おこしにより「常滑焼き物散歩道」が整備され、今も焼き物の里として多くの旅行者が訪れています。 今回は、常滑でも特に、JR常滑駅の南東の丘(常滑市栄町)と東の丘(常滑市北条)に点在する命名されている坂を巡ります。半日で回れるほどの範囲に焼き物の町の歴史を背景に命名された坂がたくさんあり、とても興味深い地域です。しかし、当地の坂は、命名されているも坂標の設置は限られており、位置の特定が難しいところがあります。そこで、常滑の町おこしに尽力されている「北斗の会」の皆様から資料を提供頂くとともに、当日は幹事長伊藤英樹さんにご案内頂きました。 北斗の会の皆様には、お忙しいなかご協力頂きましたことに、心より感謝いたします。また、皆様がこれから坂標の設置や記録の整備にも力を入れていかれるとの嬉しいお話をうかがいました。焼き物の散歩道に加え、坂の散歩道が完備されることを期待するとともに常滑の坂を見守っていきたいと思います。
坂の詳細は坂学会のホームページから「全国 坂のプロフィール」の「愛知県の坂」をご参照ください。
詳しくは「常滑の坂道」地図を参照してください。
(Google Map より)
0.スタート地点 JR「常滑駅」を出て、252号線の「陶磁器会館西」の交差点にいます。まずは、JR常滑駅の南東の丘(常滑市栄町)を巡ります。
←常滑の坂巡検スタート地点
横断歩道を渡って、陶磁器会館に向かい東に進むと、「とこなめ招き猫通り」のコンクリートの壁面に等区間に埋め込まれた数十の可愛い焼き物の招き猫がお出迎えしてくれます。 ↓とこなめ招き猫通りの猫たち 1.上天の坂(じょうてんのさか)(「いのちの坂」いのちのさか) さぁ、ここから本格的に坂巡りが始まります。
「とこなめ招き猫通り」と「一木橋あっちべたこっちべた街道(参考資料*b.)」の交差点にある「陶磁器会館」手前の路地を右に入り、北に向かって上ります。 現地には番号記載の案内板が置かれているので、「常滑やきもの散歩道マップ2013-2014(参考資料*a.)」をはじめ、当地の散歩マップと照合しながら歩け、とても便利です。
←上天の坂を坂下から見たところ。
電信柱の左にあるのが、散歩道案内板 最初の坂は「上天の坂」、別名「いのちの坂」と言われています。上天の坂の由来は、上天という地名からで、かつて坂の下に「上天の池」があったそうで、その池のところに陶磁器会館ができたそうです。
←上天の坂を上から見たところ
いのちの坂の由来は、斜度のキツイ坂で、重い荷物を担いで上ると、命を削るからということですが、今はキツイ斜度の面影はありません。かつて丘上の窯に牛車や荷車で通れるのは、この坂と会所の坂だけだったと「とこなべ坂と海と(参考資料*d.)」という冊子に古老の話が残っています。 2.チョウゴロウの坂(ちょうごろうのさか) 上天の坂を上がり、「だんご茶屋」の裏を東に下がる坂です。坂名の由来は、地元の長老のお話によると、「近所にチョウゴロウさんの家があったから」ということです。参考資料*e.によると、この坂の右上に「チョウゴロ」という記載があります。
長老のお話では、「○○さんの坂」というように、かつてこの丘のほとんどの坂に人の名前(屋号)がついていたそうです。生活道路としての坂がたくさんあり、住民にとって坂名が必要だったためと納得です。記録がなく、坂名が消えていくのは残念ですね。 ←チョウゴロウの坂上(だんご茶屋の裏)から見たところ。この右側にチョウゴロ窯があったという
3.会所の坂(かいしょのさか) 「チョウゴロウの坂」の上、すなわち「だんご茶屋」横から西方向に県道252号線に下る坂です。途中で右にドッグレッグしています。名前の由来は、県道に出る角に青年団の会所があったからだそうです。かつて、常滑の6つの地区に青年団があり、祭礼に携わっていたそうです。
←会所の坂を坂上(チョウゴロウの坂上)から見たところ
「*d.とこなべ坂と海と」によると、会所の坂は牛車や荷車の通い道で、荷車は犬が引いていました。行きは粘土、石炭、岩塩などを運び、帰りは甕や土管を積んで港の置場に運んだそうで、「現在は、コンクリートの歩き良い坂になっているが、当時、会所の坂は、轍(わだち)と牛糞でうっかり歩けない坂道だった」とあります。
←会所の坂の途中から坂下の252号線を見たところ。
会所は坂下の右側にあった だんご茶屋に戻り、お団子を1本買って、茶屋の前の道を東北東に進みました。かなり急な上り坂で、坂上に「土管坂」への案内板とだんごの串入れがあります。親切ですね。この坂も急で印象深いのですが、残念ながら名前はついていません。個人的には「だんご茶屋坂」と呼びたいところですが…。
ここで、案内板の通り右に進むと、「デンデン坂」、そして「土管坂」に着きます。 ←だんご茶屋前の坂を上がったところ
4.デンデン坂(でんでんざか) 「デンデン坂」に着きました。常滑市指定有形文化財廻船問屋瀧田家の横の坂で、坂上に立派な坂標が立っています。
坂標には、「この丘が通称でんでん山と呼ばれていたから」とありますが、「船が来るとデンデン太鼓をたたいて知らせたから」という説もあります。 ←坂上にデンデン坂の坂標。
右下が瀧田家で一般公開されている ←坂の下から。左の建物が瀧田家。
焼き台が埋められた趣ある道
↓探すと、「常」という字が埋められている
5.土管坂(どかんざか) デンデン坂の坂上から南に少し進むと「土管坂」の坂下に出ます。土管坂には坂標があります。 坂下から見て、左側の壁には土管が、右側には甕が積まれています。左側は土管屋さん、右側は焼酎瓶の製造元だそうです。 「*d.とこなべ坂と海と」には、土管坂はかつて(話者である古老が子供であった昭和初期)、「光明寺坂(こうめんじさか)」と言われていたとあります。 ←坂の下に立つ坂標。
坂下の壁にも坂名だけの坂標があります 土管坂は国土交通省手づくり郷土賞平成2年度「ふるさとの坂道30選」にも選ばれていて、常滑で一番有名な坂です。ほとんどの観光客が見に来て混雑しているため、人気のない坂道を写真に収めるのは至難の業です。観光客がいなくなったところ、同行の坂学会のメンバーに「どいて、どいて!」で無人の坂(左下)をやっと撮影しました。
道に埋め込まれているのは、土管を焼いた時に使った焼き台で、「ケサワ」というそうです ←坂標の中のマップ
↓土管坂を下から見たところ。 ↓土管坂の坂上から見たところ。
6.禰宜殿の坂(ねぎどののさか) 土管坂の坂下から、更に下る坂です。諸説あり、なかなか場所が特定できませんでしたが、後日北斗の会の久野氏の調査で、土管坂のすぐ下の坂と分かりました。「禰宜殿の坂」の由来は神社の禰宜さんが住んでいたからとされています。どこの神社かは特定できませんが、この近くにある「神明社」が有力候補になりそうです。
この先には、登窯広場、10本の煙突がそびえる登窯、窯元などがあり、常滑観光の見どころです ←坂下から見たところ
←登り窯と煙突
7.窯坂(かまざか) 「茶屋窯坂」の左横から「器屋散歩堂」に下る坂道が「窯坂」です。
窯坂の名前の由来は、「左右が窯に挟まれた坂だから」ということなので、坂の左右に窯があったことがうかがえます。 土管坂上から、「器屋散歩堂」に下る坂を「窯坂」としている散歩マップもあります。 ←「茶屋窯坂」
↑窯坂上から「器屋散歩堂」へ下る途中 ↑「器屋散歩堂」
8.カクジロの坂(かくじろのさか) 「茶器散歩道」を右に曲がり坂を下りると、光明寺の石段の前に出ます。その道を北に進むと、案内板15番のギャラリー「修英舎」に着きます。そこから案内板21番までの坂が「カクジロの坂」です。
名前の由来は、「カクジロ」の家があったからです。 「修英舎」は今回坂案内をしてくださった伊藤さんのお店で、ギャラリーの展示を拝見しながら一休み。 ←「修英舎」
←「カクジロの坂」を坂下から見たところ
9. 男坂・女坂(おとこざか・おんなざか)
坂名の由来は、この坂の下に棚井戸があるからです。
「*d.とこなべ坂と海と」によると、このあたりの50何軒の家が井戸の仲間で、水汲みや洗い物で、いつも賑わっていたそうです。使いすぎて水がなくなってしまうこともあったとか。 棚井戸もポンプに変わっており、今は坂名に往時の姿を偲ぶことができるだけです。それにしても、坂道は細くけっこう急なので、水桶を担いでの上り下りは大変だったでしょう。 ←「棚井戸の坂」の坂上から見たところ
↓坂の途中から下を覗いたところ 道幅はわずか30センチ程度のところがある ↓坂下から上を見たところ。手前左にあるのが井戸 11.一木橋の坂(いちきばしのさか) 案内板25番の陶磁器会館前から24番のいちき橋の東側に上る道。
←「一木橋の坂」を陶磁器会館前の交差点から見たところ
12.ゲンパチ坂(げんぱちさか)
13.ヒデサの坂(ひでさのさか)
14.マルゴの坂(まるごのさか) 「ゲンパチさの新家を北へ行くと、くの字型に丸五製陶所(エスポア常滑)の門あたりへ下る、わりあい広い坂道があった」と「*d.とこなべ坂と海と」に「丸五の坂」の回想が載っています。
丸五製陶所はなくなって、現在はエスポワ常滑というマンションになっています。その向かいには、今も「丸四製陶所」があります。その横を上がる坂が「マルゴの坂」です。 ←マルゴの坂を下から見たところ。右側が丸四製陶所
←エスポワ常滑
15.セイゾの坂(せいぞのさか)
番外: あげあげの坂 栄町の丘上の案内板番号17から「散歩道のやおやさん」まで下る坂を、最近「あげあげの坂」と呼んでいるそうです(参考資料 *c.)。その名の由来は、最近坂の途中にお稲荷さんの祠が見つかったためということです。
残念ながら、日没になってしまい、現地を確認できませんでした。 ←この正面の路地の先を右に上がる
ほぼ半日で16の坂を巡りました。
最後に北斗の会の皆様と「やまみ山車蔵」で打ち上げ。地元ならではの美味しいお料理を味わいました。 北斗の会の伊藤様、ご準備・ご案内など大変お世話になり、ありがとうございました。 同じく北斗の会の村田様、小池様、久野様にも情報提供とご協力をいただきありがとうございました。 ←こんな大きくて美味しいワタリガニは初めて食べました
参照資料
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