(2) 古い本に出てくる坂名

徳川家康が江戸に幕府をもってくる前には、現在の都心に近いところに、鎌倉道 その他若干の道が通っていたと思われるが、坂道に名前はついていなかったようである。だから東京で今呼ばれている坂名は、1610年過ぎからの江戸時代と呼ばれる400年足らずの以後に、付けられたと言える。家康が大内山辺に居を構え、回りに家来達が住むようになってもまだ町名は無く、仕方なく近くの坂道に名前を付け。「××坂上の何の誰兵衛」等と名乗ったと思われる。江戸初期の坂名はこのように町名代わりだったのだ。徳川幕府の権力が絶大になり、町名も立派に付けられても、江戸っ子は坂に名前を付けて、町名より坂名を呼ぶのが癖みたいになって、何百の坂名を残すようになったに違いない。

 五代将軍綱吉の頃の天和2年、(1682年=この都市に江戸大火があり、 「八百屋お七の火事」と呼ばれる。) 戸田茂睡の「紫の一本」という本が出版され、 江戸初期の坂の名前が30ほど紹介されている。今の区、町名、坂名当てはめてみると 下記の通り。

千代田区 梅林坂(東御苑) 塩見坂(汐身坂-東御苑) 紀の国坂(平川濠畔)
冬青木坂(九段) 法現坂(番町)

港区 長坂(永坂) 狸穴の坂 聖坂(三田) 榎坂(芝公園後) 榎坂(溜池)
紀伊国坂(弁慶濠畔) 江戸見坂(虎の門) 南部坂(赤坂 六本木)

新宿区 女夫坂 (四谷) 左内坂(市谷) 浄瑠璃坂(市谷) 逢坂(船河原町)
神楽坂

文京区 梨の木坂(梨木坂-本郷) 菊坂(胸突坂―本郷) とび坂(東・西 富坂)
金剛寺坂(春日) 不動坂(目白坂)

台東区 車坂(上野駅) びょうぶ坂(上野) 無縁坂(池の端) 清水坂(谷中)

渋谷区 道玄坂

目黒区 行人坂(目黒駅・近)

?区 小坂(?)

これらの坂は江戸初期からあって、姿や回りの風景は変わっていても、今でも位置と坂名は殆どが健在である。道玄坂や神楽坂はどんな雰囲気の坂だったのだろうか、と想像するのも楽しい。

今、朝日新聞の月曜朝刊に坂の話を書いている山野勝さんは「江戸の坂」とタイトルしている通り、古い坂が好きな方で、坂の歴史に詳しいようだ。

東京新聞、土曜日の朝刊に連載している富田均さんは、第一回目に無名坂に「裕次郎坂」と命名してケロッと載せるという全く異質な方で、両方の同じ坂の紹介を併せ読むと興味が湧く。どちらも「坂好き」では兄たりがたく、弟たりがたい。

私はごくまれだが、無名坂に名前を付けることがあったが、必ず「の」の字を入れて、「桜の坂」というようにして来た。

多分江戸時代に坂名を付けた人もそんなに立派な動機で命名した訳では無いと思うので、新しく名前を付けて良いのだろうが、100年後に古い坂名と新しい坂名が解らなくなってしまわないような工夫が必要だと思う。

中村 雅夫

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