60年前、戦争が終わりに近づいた夏になると、思い出すことがある。
広島に原爆が落とされたとき、私は鎌倉の海軍の通信隊に居て、『敵機が一機で来て、今迄に無い協力な爆弾を広島市に投下していった。一発で市は殆ど全滅した模様』といったような第一報を聞いた。その後いつごろか正確な記憶が無いが『市内にある山の蔭で、原爆の被害を免れた地域があった』という話を聞いたことがあった。
「日本の坂」を巡ろうと思い立った時、忘れていたその話を思い出し、『その山の蔭に坂があったら、その坂にいた人は助かったに違いない。その坂に行ってみたい』と思った。その山はなかなか特定できなかったが、或る広島の案内書でその山は「比冶山」で、助かった地域は「段原町」の一部とわかった。比冶山は以前広島観光の時、上がったことはあったが、その時は原爆から助かった話は全然出なかった。
1998年11月初めに尾道の坂を歩いた帰りに広島に廻って、初めて比治山に行った。比治山は原爆の爆心地の東南東方1キロ半程の所にあって、東京の愛宕山をふたまわり位大きくしたような印象の岡で、なるほどこの蔭なら原爆の直撃を免れたろうと思われた。岡全体が公園のような緑地帯になっていて、美術館などがある。
岡の蔭の段原の街は、当時新しい市街に改装が行われたばかりで、被爆以前の助かった古い建物は殆ど見つからなかった。私は段原から比治山に上がる何本かの坂道の中から、曲がりくねった坂道を一本選んで「原爆を避けた坂」として写真に記録してきた。 比治山の公園管理事務所でも、段原の町でも、被爆当時の話や史料などは見聞きできなかった。「もう、話したくない」というような印象を受けた。
「避爆の坂」と仮に命名して、私の「日本の坂」リストに入れた。 05.6.29.記