すぐ隣の、沢山坂道のある都会なのに、私は最近まで、横浜の坂を廻っていなかった。長崎から函館までの、10市町程の坂を廻ってから、1998年10月にやっと横浜の坂を歩いてみようと思いたった。横浜をなかなか行かなかった理由は、10年前には横浜市の坂の名前の資料が、東京では容易に手に入らなかったことによる。当時、動物園や公園などの「野毛坂」、正月の駅伝で「権太坂」、何故か昔から知っていた「地蔵坂」の三つ位しか、坂の名前を知らなかった。
7年前に横浜の坂を廻ってみようと思った時、石川町駅に近い地蔵坂に足が向いた。何枚かの写真を撮りながら地蔵坂を上がったところに付近の街の表示板があって、地蔵坂の他に近所の牛坂、小坂、大丸谷坂などが記されていた。早速それらの坂をノートして、写真を撮るべく、廻り始めた。
「小坂」の上辺りの道を撮影していると『何を撮っているのですか』と声を掛けられた。振りかえると、同年輩の男性だ。坂が好きで、坂の写真を撮って歩いていると話をしたところ、この辺の坂の資料があるから、うちへ寄っていきませんか、ということになった。崖の上の立派な屋敷の見晴らしの良い部屋に通され、ビールなどをご馳走になりながら、山手町辺りの坂道の名前を教えて貰った。また、横浜全体の坂を廻るなら、市役所の資料室で調べたらよいとアドバイスしてくれた。すぐ近所の「イタリア山庭園」は、たたずまいが気に入った。こういうところで写真展をやれたらいいな、と思った。
翌日早速、市の資料室へ行った。60ほどの坂名がわかった。昭文社の横浜の地図を買ったら、以前載って無かった坂名が、だいぶ記されていた。それから集中して横浜の坂を歩くことになった。
今度、イタリア山庭園で写真展をやった時、ビールをご馳走になって、坂名を教えて頂いたお宅に、お礼にと探したが、どこのお宅か見つからなかった。
今年までに私が廻った横浜の坂は、85坂である。東京の1/8ほどしかない。それでも第三位の金沢市が35坂ほどしかないから、横浜市は名前の付いた坂の多い町である。 横浜市の坂は、都会としての歴史の差で、東京に比べ、名前の付いてからの年限が浅い。江戸時代に付いたと思われる坂名は殆ど見当たらない。明治以後の命名だ。だが東京よりも岡がちょっと高いようで、坂からの展望が利いて、長い高い坂が多いような気がする。
東京、横浜。それぞれ違った魅力がある。