坂のプロフィール 地域・No. 北海道・室蘭市−8
報告者 M.Ogawa
報告日 2012年09月12日
登録日 2012年09月12日

 

坂名 ムロラン地名発祥の坂
 (むろらんちめいはっしょうのさか)
別名
所在地 地図g  室蘭市崎守町
目印  崎守駅の200mほど西。元室蘭仙海寺の前を西方に上る坂
坂の特徴 坂の方向  坂下は西南西方向に,坂上は北西に向かって上る
長さ  100m
斜度  やや急な坂(高低差6m,平均斜度3.4度)
形態  ほぼ直線
標識  坂下に室蘭市が設置した標識がある。また以下のような説明板も設置されている。
ムロラン(室蘭)地名発祥の地
 ムロラン(室蘭)は,もともとアイヌ語に源を発する地名で,「モロラン」と呼ばれていた。その原名は「モルラン」であり,語源は「モ・ルエラニ」とされる。つまり,アイヌ語発音解釈から,モは「小さな」「子」,ルは「路」,エは「そこを」,ランは「下る」,イ「所」で,総じて「小さな下り路」の意味である。

 「室蘭」の名付け親は,松浦武四郎(1818〜1888年)である。六回に及ぶ蝦夷地探検の際,一八四五年には噴火湾沿岸を調査し,さらに明治二年(1869)に明治政府の開拓判官となって「北海道」と命名,また道内の国郡名選定を行なう。
 彼は室蘭郡の命名の理由として「会所元ヘ何レヨリ行テモ チイサキ坂ヲ下ル故ニ此名有ニテ御座候」と,この地の坂路の印象を挙げている,

 かくて,時の太政官は明治二年(1869年)に「このたび蝦夷地一円を北海道と称す」と布告,同時に胆振国室蘭郡(モロラン村など七ヶ村)も制定された。
 やがて,開拓使が明治五年(1872年),港と札幌本道建設の拠点としてモロランの小沼を選ぶが,着工直前に黒田清隆(当時の開拓使次官)の決断で対岸エトモ(絵鞆)側のトキカラモイ(現在の海岸町三丁目の港側)に変更となる。
 以来,この地は開港した「新室蘭」に対して「旧室蘭」と呼ばれるが,さらに地名発祥の誇りをこめて「元室蘭」と呼ばれることになり,現在は「本室蘭」と呼ばれている。
 町名としては現在,「崎守町」と称しているが,これは室蘭の地を守る防人の心意気を伝えるものである。
       平成元年(1989)8月 室蘭市

由来  室蘭の地名は,アイヌ語の“モ・ルエラニ”(小さな坂道の下りたところ)の意による。明治期の呼称は“モルラン”であった。この地方の中心をなす会所が此の(元室蘭)にあって“小さな坂を下った所にある”と書かれていることに由来する。 (坂標より)
命名時期  
参考文献
写真 撮影日  2012年9月 撮影者  T.H.さん

坂下の標識
坂下の標識
坂下より上を見る
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