坂のプロフィール 地域・No. 沖縄・浦添市−1
報告者 Koh Motoki
報告日 2015年02月01日
登録日 2015年02月01日

 

坂名 馬ドゥケーラシ (うまどぅけーらし) 別名 馬ころばし坂(うまころばしざか)
所在地 地図g  浦添市当山町1丁目と3丁目の間から当山町1丁目と2丁目の間まで
目印  浦添大公園、浦添よーどれの近くにある史跡「当山の石畳道」の坂
坂の特徴 坂の方向  南北に谷を下り,上る
長さ  200m(北側の坂:90m,南側の坂:110m)
斜度  急な坂。南側の坂(高低差18.3m,平均斜度12度) 北側の坂(高低差15.3m,平均斜度8度)
形態  石畳が敷かれたスロープの坂 。牧港川に架かる当山橋が坂の最低部で曲りながら上って下る。
標識  坂脇に浦添市教育委員会による説明板が設置されている。
 浦添市指定文化財
  史跡・当山の石畳道

 琉球王国時代に王府は、首里城と各間切の番所(地方の役所)を結ぶ宿道を、川には橋をかけ、坂は石畳道に整備しました。この道は、首里城から浦添間切番所をとおって宜野湾間切番所にいたるいわゆる普天間街道で、牧港川の谷間に幅4.5メートル、長さ約200メートルの石畳道が残っています。馬がころぶほどの急坂で「馬ドゥケーラシ」と呼ばれていました。この道を通って、国王は普天間宮に参詣し、また各間切の年貢が首里城へ運ばれました。宜野湾間切が新設された17世紀後半頃に整備されたと考えられていますが、橋は大正時代に改築されました。
         昭和59年3月1日
         指定 浦添市教育委員会
由来 他  馬がころぶほどの急坂であったため。(標識より)
命名時期  
参考文献  『沖縄「歴史の道」を行く』座間味栄議著2001年 むぎ社刊
写真 撮影日  2012/10/16 撮影者  Koh Motoki

浦添市教育委員会による「当山(とうやま)の石畳道」解説板
浦添市教育委員会による「当山(とうやま)
の石畳道」解説板
2015.1再訪したときタイトルが「当山の石畳
道」が「普天間参詣道」に変更されていた
当山の石畳道南側斜面:曲りながら当山橋まで下る
当山の石畳道南側斜面:曲りながら
当山橋まで下る

石畳道南側斜面の石畳 牧港川に架かる当山橋 石畳道北側斜面:当山橋を渡った道は坂となり北へのびる
石畳道南側斜面の石畳
牧港川に架かる当山橋
石畳道北側斜面:当山橋を渡った道は
坂となり北へのびる

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