坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−66
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年8月26日

 

坂名 大日坂 (だいにちざか) 別名 八幡坂(やはたざか)
所在地 地図g  文京区小日向2丁目
目印  地下鉄・江戸川橋駅から 小日向の台地に上がる道の一つに「大日坂下」という名前の交差点がある。ここを北に上る道が大日坂。
坂の特徴 坂の方向  北に向かって上る
長さ  110m
傾斜  急坂(高低差16m,平均斜度8度)
形態  途中わずかに西に曲がって上る
標識  坂上に文京区が設置した標識がある。
大日坂  だいにちざか
 「・・・坂のなかばに大日の堂あればかくよべり」(改撰江戸志)
この「大日堂」とは 寛文年中(1661〜73)に創建された 天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。
 坂名はこのことに由来するが,別名「八幡坂」については 現在小日向神社に合祀されている 田中八幡神社 があったことによる。
 この一円は 寺町の感のする所である。

  この町に遊びくらして三年居き
    寺の墓やぶ深くなりたち   折口信夫(筆名・釈超空 1887-1953)

             東京都文京区教育委員会  平成元年3月

 この標識のある場所から やや坂下に,妙足院という寺があり,ここの入口の石段横に 下の写真のような 縦長の標識が建てられている。文京区と観光協会が建てたもの。

大日坂  だいにちざか
 坂の名の由来は,坂の途中に大日堂があったことから里俗に呼ばれるようになったものであろう。
 堂のあるこの寺は 天台宗で,覚王山妙足院と号し,開祖は浩善尼上人(紀州家の奥女)で,堂廟の創立は寛文2年(1662)といわれている。
 その後 何度か火災にあったので,堂は現在に至っていないが,坂の北の方の道造りは,妙足院で施工したと伝えられている。
 小日向の名の由来については,古く鶴高日向という人の領地だったが 絶家した後,「古日向があと」といっていたものが,いつか「こひなた」と呼ばれるようになったのであろうと,「御府内備考」では述べている。
                  文京区役所・文京区観光協会
由来 他  江戸時代,坂下に天台宗妙足院の大日堂があったため,この名がある。(標識より)
命名時期  江戸時代
参考文献
写真 撮影日  2002年11月 撮影者   M.Ogawa


大日坂 大日坂 妙足院境内に建つ標識
大日坂 標識
大日坂
坂下の妙足院境内に建つ標識

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