坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−17
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年8月11日

 

坂名 今井坂  (いまいざか) 別名 新坂(しんざか)
所在地 地図g  文京区春日2丁目
目印  金富小学校と国際仏教大学の間を北に上る
坂の特徴 坂の方向  北北東に上る
長さ  120m
傾斜  かなり急な坂(高低差9m,平均斜度4.3度)
形態  直線
標識  坂下に文京区が設置した標識がある。
今井坂  いまいざか  (新坂)   文京区春日2丁目7番と8番の間
 『改選江戸志』には,「新坂は金剛寺坂の西なり,案(あんずる)に 此坂は新に開けし坂なればとて かかる名あるならん,別に子細はあらじ,或はいふ 正徳の頃(1711〜16)開けしと」とある。新坂の名のおこりである。
 今井坂のおこりは,『続江戸砂子』に,「坂の上の 蜂谷孫十郎殿屋敷の内に兼平桜(今井四郎兼平の名にちなむ)と名づけた大木があった。これにより 今井坂 と呼ぶようになった。」とある。
 この坂の上,西側一帯は,現在財務省の宿舎になっている。ここは徳川最後の将軍,慶喜が 明治34年(1901)以後住んだところである。慶喜は自分が生れた,小石川水戸屋敷に近いこの地を愛した。慶喜はここで,もっぱら趣味の生活を送り,大正2年(1913)に没した。現在,その面影を残すものは,入口に繁る大公孫樹のみである。
     この町に遊びくらして三年居き 寺の墓やぶ深くなりたり  (釈 超空)
                     (この町とは旧金富町をさす)
          文京区教育委員会   平成13年3月
由来 他  坂上の屋敷の内に兼平桜(今井四郎兼平の名にちなむ)と名づけた大木があった。これにより 今井坂 と呼ぶようになった。(標識より)
命名時期
参考文献
写真 撮影日  2002年1月 撮影者   M.Ogawa


今井坂 今井坂 今井坂
今井坂 標識
今井坂
徳川慶喜 終焉の地
今も残る大イチョウ

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