坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−54
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年8月12日

 

坂名 樹木谷坂 (じゅもくだにざか) 別名 地獄谷坂 (じごくだにざか)
所在地 地図g  文京区湯島1丁目
目印  本郷通りの 東京医科歯科大学北門の前から,東京ガーデンパレスの東側を通って蔵前通りに抜ける道。横見坂と向かい合う。
坂の特徴 坂の方向  南西に向かって上る
長さ  90m
傾斜  緩やか(高低差2m,平均斜度1.2度)
形態  直線の短い坂
標識  坂の中程,東京ガーデンパレスの東端に,文京区が設置した標識がある。
樹木谷坂  じゅもくだにざか
 地獄谷坂とも呼ばれている。この坂は,東京医科歯科大学の北側の裏門から,本郷通りを越えて,湯島1丁目7番の東横の道を北へ,新妻恋坂まで下がる坂である。そして,新妻恋坂をはさんで,横見坂に対している。
 『御府内備考』には,「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。
 尭恵(ぎょうけい)法印の『北国紀行』のなかに「文明19年(1487)正月の末,武蔵野の東の界・・・並びに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて,しめの内に武蔵のゝ遠望かけたるに,寒村の道すら野梅盛に熏ず」とある。
 天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社周辺のようすである。
 徳川家康が江戸入府した当時は,この坂下一帯の谷は,樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで,樹木谷坂の名が生まれた。
 地獄谷坂と呼ばれたのは,その音の訛りである。
 なお,湯島1丁目の地に,明治14年(1881)渡辺辰五郎氏(千葉県長南町出身)が 近代的女子技術教育の理想をめざし,和洋裁縫伝習所を創立した。その後,伝習所は 現東京家政大学へ発展した。
           文京区教育委員会   平成10年3月
由来 他  徳川家康が江戸入府した当時,この坂下一帯の谷は樹木が繁茂していた。そこに通ずる坂ということで,樹木谷坂の名が生まれた。(標識より)
命名時期  江戸時代
参考文献
写真 撮影日  2001年11月 撮影者   M.Ogawa


樹木谷坂 樹木谷坂
樹木谷坂 標識
樹木谷坂

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