坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−87
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年8月27日

 

坂名 猫又坂 (ねこまたざか) 別名 猫股坂(ねこまたざか)
猫狸坂(ねこまたざか)
所在地 地図g  文京区千石2丁目と3丁目の間
目印  不忍通りの“千石3丁目”交差点付近から北東。坂下で白鷺坂と向かい合う。
坂の特徴 坂の方向  北東に上る
長さ  170m
傾斜  緩やか(高低差5m,平均斜度1.7度)
形態  直線
標識  坂下に文京区が設置した標識がある。
猫又坂  ねこまたざか  (猫貍坂,猫股坂)
          千石2丁目と3丁目の間
 不忍通りが千川谷に下る(氷川下交差点)長く広い坂である。現在の通りは大正11年(1922)頃開通したが,昔の坂は,東側の崖のふちを通り,千川にかかる猫又橋につながっていた。この今はない猫又橋にちなむ坂名である。
 また,『続江戸砂子』には次のような話がのっている。
 むかし,この辺に狸がいて,夜な夜な赤手拭をかぶって踊るという話があった。ある時,若い僧が,食事に招かれての帰り,夕暮れどき,すすきの茂る中を,白い獣が追ってくるので,すわっ,狸かと,あわてて逃げて 千川にはまった。そこから,狸橋,猫貍橋,猫又橋と呼ばれるようになった。猫貍とは妖怪の一種である。
          文京区教育委員会   平成11年3月
由来 他  昔の坂は,千川にかかる猫又橋(今はない)につながっていたため,これにちなむ坂名。(標識より)

 坂の標識のある場所に,「猫又橋」についての説明板がある。

猫又橋 親柱の袖石(そでいし)
 この坂下に もと千川(小石川とも)が流れていた。むかし,木の根っ子の股で橋をかけたので,根子股(ねこまた)橋と呼ばれた。
 江戸の古い橋で,伝説的に有名であった。このあたりに,狸がいて,夜な夜な赤手ぬぐいをかぶって踊るという話があった。ある夕暮れとき,大塚辺の道心者(どうしんもの)(少年僧)がこの橋の近くに来ると,草の茂みの中を白い獣が追ってくるので,すわ狸かと あわてて逃げて千川にはまった。それから,この橋は,猫貍橋・(猫又橋)といわれるようになった。猫貍は妖怪の一種である。
 昭和のはじめまでは,この川でどじょうを取り,ホタルを追って 稲田(千川たんぼ)に落ちたなど古老がのどかな田園風景を語っている。
 大正7年3月,この橋は立派な石を用いたコンクリート造となった。ところが千川はたびたび増水して大きな水害をおこした。それで昭和9年千川は暗渠になり道路の下を通るようになった。
 石造りの猫又橋は撤去されたが,地元の故市川虎之助氏(改修工事相談役)は その親柱と袖石を東京市と交渉して自宅に移した。
 ここにあるのは,袖石の内2基で,千川名残りの猫又橋を伝える記念すべきものである。なお,袖石に刻まれた歌は 故市川虎之助氏の作で,同氏が刻んだものである。
   騒がしき蛙(かわず)は土に埋もれぬ
      人にしあれば 如何に恨まん
            文京区教育委員会   昭和58年1月
命名時期  江戸時代
参考文献
写真 撮影日  2002年1月 撮影者   M.Ogawa


猫又坂 標識 猫又坂
猫又坂 標識
猫又坂

猫又橋 親柱の袖石
猫又橋 親柱の袖石

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