坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−46
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 東京・文京区−41

 

坂名 鷺坂 (さぎざか) 別名
所在地 地図g  文京区小日向2丁目
目印  目白通りの“目白坂下南”交差点から小さな道をを東に入り,それが突き当たる急坂部分
坂の特徴 坂の方向  坂下は東北東に,坂上は北西に上る
長さ  70m
傾斜  かなり急坂(高低差6m,平均斜度4.9度)
形態  途中に鋭角の曲がり角
標識  曲がり角に,文京区が設置した標識がある。
鷺坂   さぎざか
 この坂上の高台は,徳川幕府の老中職をつとめた 旧関宿藩主・久世大和守 の下屋敷のあったところである。ために土地の人は「久世山」と呼んで今もなじんでいる。
 この久世山も 明治以降 住宅地となり 堀口大学(詩人・仏文学者。1892〜 ),その尊父 長城堀口九万一 も居住するようになる。
 そして,近くに住む詩人の三好達治,佐藤春夫などによって山城の久世の鷺坂と結びつけた「鷺坂」という坂名が,ごく自然な響をもって世人に受けいれられてきた。
 足本の石碑は,久世山会が昭和7年7月に建てたもので,揮毫は長城堀口九万一によるが,一面には万葉仮名で,他面には今日風で「山城の久世の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり」とある。
 文学愛好者の発案になる「昭和の坂名」として異色な坂名といえる。
                  文京区   昭和51年3月
由来 他  かつて坂上の高台に久世大和守の下屋敷があった。明治以降,詩人の三好達治・佐藤春夫等によって山城の久世の鷺坂と結びつけた「鷺坂」という坂名がつけられた。(標識より)

 文京区が建てた標識の下に,背の低い古い石碑があって「鷺坂」と書かれている。この由来は 標識の説明に明らか。

命名時期  昭和初期
参考文献
写真 撮影日  2001年8月 撮影者   M.Ogawa


鷺坂 鷺坂
鷺坂 新旧の標識
鷺坂

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