坂のプロフィール 地域・No. 東京・文京区−57
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年8月26日

 

坂名 白鷺坂 (しらさぎざか) 別名
所在地 地図g  文京区大塚3丁目と4丁目の間
目印  不忍通りの“千石3丁目”交差点から“大塚4丁目”交差点付近まで続く長い坂。
 ここの標識は 大塚小学校の塀の外側に,植え込みに埋もれるように建っている。
坂の特徴 坂の方向  南西に上る
長さ  390m
傾斜  緩やか(高低差7m,平均斜度1度)
形態  わずかに“く”の字に曲がる
標識  坂下の大塚小学校前に文京区が設置した標識がある。
白鷺坂
 このあたり一帯は,かつて伊達宇和島藩主の下屋敷であった。近くの区立大塚小学校地は,池を中心とした 伊達屋敷の庭園部に相当すると伝えられる。明治時代を迎えて荒廃するが,「古木老樹がうっそうとしげり 白鷺の集巣地となって日夜その鳴声になやまされたものである。」とは土地の古老の話である。
 この白鷺にみせられた アララギの歌人 古泉千樫は,ここに毎日通いつめて白鷺を題材とした短歌をつくったといわれる。
 明治末期の東京市区改正に伴う道路整備によって 不忍通りの前身が伊達屋敷内を貫通したため 往時をしのぶものもなく,そこにできたこの長い坂道にも坂名のないままであったが 誰いうとなく 白鷺にちなんだ坂名が愛称となった。
 大正から昭和にかけての人によってつけられた坂名といえる。

    鷺の群 かずかぎりなき鷺の群
       そうぜんとして寂しきものを   古泉千樫(1886-1927)

           東京都文京区教育委員会   昭和63年3月
由来 他  かつて伊達宇和島藩主の下屋敷であったが,明治時代ぶ荒廃して,白鷺の営巣地となったため,この名がついた。(標識より)
命名時期  大正時代 または 昭和初期
参考文献
写真 撮影日  2002年11月 撮影者   M.Ogawa


白鷺坂 白鷺坂
白鷺坂 標識
白鷺坂

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