坂のプロフィール 地域・No. 岐阜・大垣市−1
報告者 まさ・なち
報告日 2016年9月3日
登録日 2017年1月6日

 

坂名 烏頭坂 (うとうざか) 別名
所在地 地図  坂下住所:岐阜県大垣市上石津町牧田
 坂上住所:岐阜県大垣市上石津町牧田
目印  JR東海道本線、関ヶ原駅から国道21号線の関ヶ原駅前信号を通過し、南東方向に1.3kmほど、関ヶ原町から大垣市上石津町に入ったあたりが坂上。名神高速道路の下をくぐり、そのまま約730mほど下り、国道365号線(薩摩カイコウズ街道)にぶつかったところが坂下。
坂の特徴 坂の方向  一部S字にカーブしながら南東方向に下る
長さ  約730メートル
斜度  
形態  舗装道
標識  坂標はなし
 坂の中ほどにある案内板「関ヶ原合戦 島津隊ゆかりの道」に「島津豊久奮戦の地(烏頭坂)」と書かれています。
由来 他  

 案内板「関ヶ原合戦 島津隊ゆかりの道」には以下のような記述あり

 島津豊久奮戦の地(烏頭坂)
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慶長5年(1600)9月15日 関ヶ原合戦の時、午後3時頃西軍はほとんどの軍が総崩れとなった。西軍の島津隊は
最後まで戦ったが、果敢にも敵中う突破を図り、主君義弘公を守りながら、東軍の徳川家康の本陣を横切り、血路を伊勢街道に求めて南進した。
島津義弘の甥、豊久(日向国佐土原城主)は、ここ烏頭坂附近でしんがり戦を展開し、追撃軍を頑強に食い止めたのでその間に義弘公は遠く戦陣を離脱し、鹿児島に帰り着くことが出来た。この地、烏頭坂には豊久の勇戦を讃える碑が建てられている
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命名時期  不明
参考文献  
写真 撮影日  2016年7月7日撮影者  まさ・なち

坂上から坂下を望む。見えているガードは名神高速道路
坂の中ほどから坂下方向を望む
坂の中ほど、右側(西側に) 案内板「関ヶ原合戦 島津隊ゆかりの道」
坂下付近から坂上方向を望む。正面の木が茂った所に島津豊久之碑があります
国道365号線から坂下を望む
坂の中ほどにある案内板
「関ヶ原合戦 島津隊ゆかりの道」

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