坂のプロフィール 地域・No. 東京・目黒区−26
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年11月6日
登録日 2010年3月11日

 

坂名 茶屋坂 (ちゃやざか) 別名
所在地 地図g  目黒区三田2丁目
目印  目黒清掃工場北側の緑地から北東に入り,“茶屋坂街かど公園”の西側の道を北に向かう急な坂。途中突き当たりを直角に曲がる。
坂の特徴 坂の方向  坂下は北に,途中北東に向かい,坂上は北西に向って上る
長さ  180m
傾斜  急坂(高低差21m,平均斜度7度)
形態  緩く右に曲がりながら上り,途中で直角に左折する。
標識  坂途中の交差点角に,目黒区が設置した標識がある。
茶屋坂  ちゃやざか
 この坂の近くに一軒茶屋があったので,茶屋坂とよぶようになった。
 この茶屋は「じじが茶屋」ともよばれ,江戸時代に将軍が目黒へ狩りに来た時,よく立ち寄ったところである。
          平成十二年十二月
             目黒区教育委員会
由来 他  昔この坂近くに一軒の茶屋があったので茶屋坂と呼ぶようになった。(標識より)
命名時期
参考文献  「坂道ウォーキングのすすめ」目黒区刊 (2010)
写真 撮影日  2009年1月 撮影者   M.Ogawa

茶屋坂 茶屋坂
茶屋坂 標識
茶屋坂

 坂上に設置された案内板

    茶屋坂と爺々が茶屋
     茶屋坂は江戸時代に,江戸から目黒に入る道の一つで,大きな松の生えた芝原の中を くねくねと下るつづら折りの坂で 富士の眺めが良いところであった。
     この坂上に 百姓彦四郎が開いた茶屋があって,三代将軍家光や八代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄って休んだ。家光は彦四郎の人柄を愛し,「爺,爺」と話しかけたので,「爺々が茶屋」と呼ばれ 広重の絵にも見えている。
     以来 将軍が目黒筋へお成りのときは 立ち寄って銀一枚を与えるのが例であったという。また十代将軍家治が立ち寄った時には 団子と田楽を作って差し上げたりしている。
     こんなことから「目黒のさんま」の話が生れたのではないだろうか。
            平成三年三月   目黒区教育委員会

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