坂のプロフィール 地域・No. 東京・品川区−7
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年03月11日
登録日 2010年03月11日
2013年04月11日 写真・標識 追加

 

坂名 禿坂 (かむろざか) 別名
所在地 地図g  品川区西五反田4丁目
目印  山手通りの“かむろ坂下”交差点から,東急目黒線と並行して南西に上る 緩やかな坂道。「かむろ坂通り」
坂の特徴 坂の方向  南西に向かって上る
長さ  460m
傾斜  緩やか。(高低差14m,平均斜度2度)
形態  僅かに左右に曲がる長い坂
標識  坂上の交差点に,品川区が設置した標識が建っている。
禿坂   かむろざか
 禿坂は 河童坂 の意味であるが,延宝7年 白井権八が品川で処刑され,そのあとを慕って遊女小紫が自害した時,その侍女(かむろ)もあとを追って,桐ヶ谷の二ツ池に身をなげたという。
 その後 この一帯の丘陵をかむろ山,これに通じるこの坂を 禿坂 と今によび伝えている。
                東京都品川区教育委員会

 坂の途中,第四日野小学校横の“かむろ坂公園”に「かむろ坂の由来」という石碑がある。
      かむろ坂の由来
 今から三百年ほど前,数々の悪事を重ねた鳥取の武士,平井権八郎直定(歌舞伎では白井権八)が鈴ヶ森で処刑され,目黒の冷心寺の僧に引き取られて葬られました。権八と相愛であった吉原の三浦屋のおいらん「小紫」は,それを知ると目黒へ急ぎ権八の墓前で自害しました。小紫の帰りを心配した三浦屋の主人は,小紫の可愛がっていた半玉(おいらんの下で働く少女は,おかっぱのような髪形をしていたところから「かむろ」とよばれていました)を迎えに出しました。「かむろ」は,冷心寺で小紫の死を知ることとなります。泣きながらの帰途,桐ヶ谷近くにさしかかったとき,突然暴徒に襲われ逃げきれず,目の前にあった「二ツ池」に飛び込み死んでしまいました。この様子を見ていた村人は,「かむろ」を哀れに思い丘の中腹に葬り,「かむろ塚」と呼んでいましたが,その後,丘を「かむろ山」池を「かむろが池」と呼ぶようになったということです。都市化とともに付近の様子も変わり,残されたこの坂道が「かむろ坂」と呼び残されています。
由来 他  白井権八・小紫の伝説にからむ名称で,遊女小紫の使っていた禿(かむろ)が付近の池に身を投げたことから,この名が起こった。(品川区HP)
命名時期
参考文献  品川区HP「かむろ坂」
写真 撮影日  2001年9月,2013年3月 撮影者  M.Ogawa


坂途中にある標識 「かむろ坂通り」標識
坂途中にある標識
「かむろ坂通り」標識

かむろ坂公園
かむろ坂公園
  (2013/3)

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