坂のプロフィール 地域・No. 東京・杉並区−25
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年3月11日

 

坂名 地蔵坂 (じぞうざか) 別名 御立場坂(おたてばざか)
寺分坂(てらぶざか)
所在地 地図g  杉並区善福寺1丁目
目印  区立荻窪中学校の南側を 東西に通過する坂。坂上に“地蔵坂”交差点がある。
坂の特徴 坂の方向  西南西に上る坂
長さ  180m
傾斜  緩やか(高低差4m,平均斜度1.3度)
形態  直線
標識  坂の途中,荻窪中学校の敷地の東端に道路に面して,杉並区教育委員会の設置した標識が建っている。
地蔵坂
 この坂道は,別名「御立場坂(おたてばざか)」「寺分坂(てらぶざか)」とも呼ばれていますが,一般的には地蔵坂と呼ばれています。名称の由来としては,かって坂の途中に地蔵堂があり,地蔵菩薩や庚申塔,馬頭観音などが祀られていたことにあるようです。
 いつ頃から地蔵坂と呼ばれていたかは不明ですが,舟形を呈した享保十七年(1732)銘の地蔵菩薩があるところから,江戸時代中期以降と考えられます。また,地蔵菩薩は北を向いていたところから「北向地蔵」とも呼ばれていたそうです。 他には,貞享二年(1685)銘,宝永二年(1705)銘,正徳六年(1716)銘の庚申塔,文政七年(1824)銘の馬頭観音などがありました。
 この馬頭観音には,「東江戸・西ふちう」と彫られており道標の役目をしていたようですが,近代になってからは東多摩郡井荻村,豊島郡石神井村,北多摩郡吉祥寺村の三郡の境に立てられていたため,「三郡境の馬頭様」と呼ばれていました。
 現在では,観泉寺(今川二丁目十八番)に安置されています。
 また,地蔵坂交差点に近い台地の先端部付近は地蔵坂遺蹟と呼ばれ,昭和五十六年に実施した発掘調査では,旧石器時代(約一万八千年前)ナイフ形石器はスクレーパー(掻器)など多数の石器類と礫群(バーベキューの跡),縄文時代早期(約八千年前)の時や石器が多数出土しており,住居址や炉穴(屋外炉)も検出されています。特に,荻窪中学校の校庭から発掘された井草期の住居址は,区内で初めて発見されたもので,考古学的にも大変貴重な資料です。
    平成元年三月
                  杉並区教育委員会
由来 他  かつて坂の途中に地蔵堂があって 地蔵菩薩などが祀られていたため。(標識より)
命名時期  江戸時代中期
参考文献
写真 撮影日  2009年12月 撮影者   M.Ogawa


地蔵坂 標識 地蔵坂
地蔵坂 標識
地蔵坂

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