坂のプロフィール 地域・No. 東京・墨田区−1
報告者 M.Ogawa
報告日 2012年11月06日
登録日 2012年11月06日

 

坂名 地蔵坂 (じぞうざか) 別名  
所在地 地図g  墨田区東向島1丁目と3丁目の間
目印  首都高6号線の墨堤通りへの出口から見て正面に,子育地蔵尊の小さな祠がある。この前から南東に“地蔵坂通り”商店街が延びている
坂の特徴 坂の方向  北西に向って上り
長さ  (50m)
傾斜  緩やか。ほとんど傾斜が感じられない。
形態  坂の痕跡
標識  坂の標識はないが,坂上の子育地蔵堂の説明板に,地蔵坂の説明が書かれている。
子育地蔵堂
             所在 墨田区東向島三丁目二番一号
 この御堂に祀られている子育地蔵は.文化年間(1804〜1818)に行われた隅田川の堤防修築工事の際に土中から発見されたと伝えられています。初めは村の子供たちが,神輿がわりにこの地蔵をかついでいたそうです。
 この地蔵には,次のような伝承があります。ある日,この地に古くから住む植木屋平作方に雇われていた夫婦が川沿いの田地で殺害される事件がおきました。犯人はすぐにはわかりませんでしたが,この地蔵が村の子どもの口をかりて犯人を告げたのだとか。そこで平作は,この所に地蔵を安置して朝夕に供養するようになりました。
 その後,天保三年(1832)四月に十一代将軍徳川家斉が鷹狩に来て平作宅にて休憩した際,地蔵の由来を聞いて参拝しました。平作が,このことを記念して御堂を建てて地蔵を安置すると,人々はこぞって 参詣しました。出産・眼病その他諸病の平癒開運を祈ると霊験が現れたそうです。当時は平作地蔵あるいは塩地蔵,また子育地蔵と様々な名前で呼ばれました。
 御堂前の坂は,明治四十四年(1911),堤防修築の土盛り以降,現在まで「地蔵坂」の名で親しまれています。
 昭和八年(1933)に建てられた由来碑と御堂建立百年御忌供養塔は,地元出身の書家,西川寧(やすし)(文化勲章受章者)が揮毫したものです。
     平成二十三年八月
              墨田区教育委員会
由来 他  明治44年に隅田川の堤防(現在の墨堤通り)を盛土した際にできた坂。坂上の子育地蔵堂にちなんだ坂名。(上記説明板より)
その後の道路改修によって 坂の傾斜はほどんとなくなり,通りの名前として残っている。
命名時期  1911(明治44)年
参考文献  
写真 撮影日  2012年10月 撮影者  M.Ogawa


地蔵坂通り
地蔵坂通り
子育地蔵
子育地蔵
「地蔵坂通り」の標識
「地蔵坂通り」の標識

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