坂のプロフィール 地域・No. 東京・台東区−11 東京・荒川区−4
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2010年3月11日

 

坂名 御殿坂 (ごてんざか) 別名 乞食坂(こじきざか)
所在地 地図g  台東区谷中7丁目と荒川区西日暮里3丁目の間
目印  JR日暮里駅北口から西に向かって上る坂。坂の北側(荒川区)は 本行寺・経王寺,南側(台東区)は谷中の墓地。
坂の特徴 坂の方向  西南西に向かって上り
長さ  180m
傾斜  緩やか(高低差3m,平均斜度1度)
形態  僅かに左に曲がりながら上る
標識  西日暮里駅近くの坂北側に台東区が,坂南側には荒川区が設置した標識がある。
 【台東区側の標識】
御殿坂  ごてんざか
 文政十二年(1829)に成立した『御府内備考』には,「感応寺後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが,「根岸」の誤写の可能性がある。明治五年『東京府志料』には,長さ十五間(約27.3メートル) 幅二間(約3.6メートル)とあるが,現在の坂の長さは五十メートル以上あり,数値が一致しない。以前は,谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが,日暮里駅やJRの線路ができた際に消滅したため,その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが,根拠は定かではない。
       平成十四年三月  台東区教育委員会
 【荒川区側の標識】
御殿坂  ごてんざか
   あらかわの史跡・文化財
 西日暮里3丁目と台東区谷中7丁目の境を七面坂上から日暮里駅方面へ下る坂。 江戸時代から用いられていた呼称である。
 当時の絵図などから,天王寺(現谷中墓地)の下を通り芋坂下に続いていたことがうかがえる。
 天保九年(1838)刊の「妙めお(みょうみょう)奇談」は,寛永(1624〜44)の頃,白山御殿(将軍綱吉の御殿)や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこのあたりにあったことにより付いたというが,坂名の由来は明確ではない。
          荒川区教育委員会
由来 他  俗に「御隠殿」と呼ばれる輪王寺宮の隠居所がこの先にあったからといわれるが,根拠は定かではない。(標識より)
命名時期  
参考文献  
写真 撮影日  2005年9月 撮影者   M.Ogawa

御殿坂(台東区標識) 御殿坂
御殿坂 標識(台東区)
御殿坂
駅側から坂上を見る

御殿坂 御殿坂
御殿坂 標識(荒川区)
御殿坂
坂下(駅側)を見る

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