坂のプロフィール 地域・No. 神奈川・横須賀市−3
報告者 M.Ogawa
報告日 2013年12月11日
登録日 2013年12月11日

 

坂名 平坂 (ひらさか) 別名
所在地 地図g  横須賀市若松町2丁目と3丁目の間から 上町1丁目と深田台の間まで
目印  京浜急行・横須賀中央駅の東側から南に上る坂。
坂の特徴 坂の方向  南西方向に上る。
長さ  310m
斜度  やや急な坂(高低差19m,平均斜度3.5度)
形態  逆“く”の字に曲がる。
標識  坂下の平坂公園前に横須賀市が設置した標識がある。
  昭和五十二年市政施行七十周年記念
    横須賀風物百選
      平坂
 日常,私たちが何気なく上り下りしているこの坂は,急こう配であるにもかかわらず,古くから「平坂」と呼ばれてきました。「ヒラ」には,平地の意味もありますが,同時に傾斜地をも意味します。「サカ」と重ねて使うことにより,大変きつい坂であることを強調したものと考えられます。
 昔,平坂から龍本寺に至る台地の下部は海で,この坂下の辺りは小さな湾になっていたと言われています。昭和二十三年にこのがけ上の台地で貝塚が発見されましたが,そこに生活した先住民は,毎日の食糧をこの辺りの海で得ていたことでありましょう。しかし,その翌年,貝塚から発掘された壮年男子の平坂人骨は,その死因が飢餓による栄養失調であると推定され,先住民の生活は,私たちの想像をはるかに超えるほど厳しいものであったことがうかがえます。
 明治の初期まで,横須賀村と深田や中里,公郷の各村を結ぶ道路は,汐入から平坂上を経由して聖徳寺坂に至る浦賀道が利用されていました。横須賀製鉄所(後の海軍工廠)の開所により,横須賀村の戸数は増大し,住宅地が上町方面に求められ,人々の往来も激しくなりました。それらの不便を解消するため,明治十年に平坂路線が開通しました。
 明治十二年,鴨居の素封家若松屋高橋勝七氏が,大滝より深田,米が浜に至る海面を,また,初代三浦郡長小川茂周氏の尽力で稲岡以南の海面が埋め立てられ,若松町と小川町が造成されました。下町一帯が繁栄するにつれ,ますます平坂は,下町と上町方面を結ぶ交通の要所となって現在に至っています。
由来 他  「ヒラ」は傾斜地を意味し.「サカ」と重ねて使うことにより,大変きつい坂であることを強調したものと考えられる。(標識より)
命名時期  
参考文献
写真 撮影日  2013年11月 撮影者  M.Ogawa

坂途中より上を見る
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坂途中より下を見る
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平坂公園前の標識(横須賀市立児童図書館前)
平坂公園前の標識
(横須賀市立児童図書館前)

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