坂のプロフィール 地域・No. 東京・町田市−25
報告者 M.Kushida
報告日 2014年02月08日
登録日 2014年02月08日

 

坂名 与兵衛坂 (よへえざか) 別名
所在地 地図g  町田市南成瀬8丁目 
目印  田苗坂の坂下西側100mの南南西に上る坂
坂の特徴 坂の方向  ほぼ南南西方向に上る。
長さ  70m
斜度  坂下側は緩やかだが坂上側は急な坂(高低差11m,平均斜度9度)
形態  非常に狭い坂。私道と思われる。
標識  坂下に柱状の標識が設置されている。
 与兵衛坂
 また標識に隣接して「与兵衛坂の御案内」という説明板が建っている。
    与兵衛坂(よへえざか)のご案内

 与兵衛坂(よへえざか)の伝承が小学校の道徳の教科書に載りました

 昔,東光寺(南成瀬8丁目)に「与兵衛」という医者がいました。
 村の人々は病気にかかると必ずと言っていいほど与兵衛医者に診察を乞いました。どんな難病であっても,与兵衛医者に診てもらうと必ず全快するという評判になりました。
 この話は,いつとはなしに近隣の村々にも知れ渡り,毎日毎日多くの患者が訪れ,たいへん繁盛する事になりました。
 しかし,与兵衛医者の家は,患者が訪れる道路から見ると崖の上にあたり,遠回りをするように少し先の馬坂と呼ばれる坂道を通らなければならず,大変不便をしていました。
 そのうち,一刻も早く診てもらいたい気持ちから,近くの崖をよじ登って診察にくる者も出るようになりました。親切で患者思いの与兵衛医者は,仕方なく自分の敷地の崖を切り取り,新たな近道を作り患者の便をはかりました。少し急な坂道でしたが,患者たちは近道を作ってもらい大喜びをしました。そこで,与兵衛の作った道を感謝を込めて「与兵衛坂」と呼びました。

 これも成瀬の伝承でありますが,そう古い昔話ではなく江戸時代末期の物語と思われます。直系の実家(木目田勝美家:成瀬8-12-3)も存在しています。また,「與兵衛稲荷大明神」の木札の納められている稲荷様があり10年ほど前に新しく再建されています。

 馬坂…この道の長津田よりに石井家があり,その入り口に当たるところが馬坂の登り口でしたが,隣接する田苗坂の改修(昭和30年初期)の時,拡幅の為入り口部分を交換しました。
 現在は,田苗坂を20m程登ったところで右側に別れて馬坂に つながっています。
        設置 平成16年(2004)3月吉日 東光寺強度史研究会
由来 他  与兵衛の作った道を、感謝を込めて与兵衛坂と呼んだ。(「与兵衛坂の御案内」より)
命名時期  
参考文献  
写真 撮影日  2006.12.3 撮影者  M.Kushida

坂上より坂下側を写す
坂上より坂下側を写す
坂下側より坂上側を写す(右側に与兵衛坂の標識と案内板
坂下側より坂上側を写す
(右側に与兵衛坂の標識と案内板)
坂下側より坂上側を写す(右側に与兵衛坂の標識と案内板
与兵衛坂の案内板

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