坂のプロフィール 地域・No. 神奈川・川崎市−22
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2011年3月2日

 

坂名 ねもじり坂 (ねもじりざか) 別名
所在地 地図g  川崎市高津区下作延
目印  高津区役所の裏手の三叉路の分岐点から 南西に向かう坂。車がようやくすれ違える程度の道幅で,この坂を迂回する形で 北側により広い道路が通っている。
坂の特徴 坂の方向  南西に向って上る
長さ  230m
傾斜  かなり急な坂
形態  途中“く”の時に曲がる
標識 坂下に「川崎歴史ガイド●大山街道ルート」という案内標識がある。

ねもじり坂
 「ねもじり」の由来は明らかでない。昔は今より急坂で,東京へ野菜を運び,帰りには下肥を積んでくる牛車・荷車などにっとっては,別名「はらへり坂」とも呼ばれた難所であった。
由来 他  たまたま見かけた本に,次のような説明があった。(書名失念. 川崎市発行?)

ねもじり坂

 下作延に,土地の人々が古くから「ねもじり坂」と呼んでいるところがあります。言葉の由来は,いまだにはっきりしません。今はきれいに舗装されていますが,明治の中頃までは,道幅も狭く,もっと急な坂でした。東京へ野菜を運び,帰りには下肥を積んでくる牛車や荷車などは,人が後押しをしなければ登れないほどだったといわれます。そこで,別名を「はらへり坂」。

 さらに時代をの遡ります。江戸から明治にかけて行われ,大山街道沿いでもみられた「鮎かつぎ」。相模川上流でとれた鮎を江戸に運ぶためのものでした。 夕方とれた鮎を,一晩がかりで江戸の魚河岸に運んだ鮎かつぎ人夫。彼等がその道中で唄ったのが「鮎かつぎ唄」です。

 鮎は瀬に棲む 蝉や木に止まる 人は情(なさけ)の下に住む

 溝口の亀屋は,鮎かつぎ人夫の留め場になっていました。厚木方面からきた人夫は,ねもじり坂の上にくるとこの唄をうたって留め場に合図を送ったといわれます。街道筋の村人は,この唄で朝の支度にとりかかったという話です。


 この道は“大山街道”と呼ばれる 江戸時代に整備された街道の一部で,江戸・赤坂門から足柄峠を経て駿河・沼津宿までを結んでいる。東海道に並行しているため 東海道の「脇往還」とも呼ばれる。また,古くは“足柄道”と呼ばれ,鎌倉時代には“鎌倉街道”(鎌倉古道)の一部でもあった。

命名時期
参考文献
写真 撮影日  2006年10月 撮影者   M.Ogawa

ねもじり坂 ねもじり坂
ねもじり坂
ねもじり坂 標識

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