坂のプロフィール 地域・No. 神奈川・横浜市港南区−2
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2011年3月1日

 

坂名 餅井坂 (もちいざか) 別名
所在地 地図g  南区別所3丁目
目印  京浜急行・上大岡駅の北西800m。イトーヨーカドーの西に 変則的に交差する道がある。これを西南西に向かう坂。
坂の特徴 坂の方向  西南西に上り
長さ  520m
傾斜  急坂
形態  細かく左右に曲がりながら弧を描く
標識  ここには 新しい標識(石碑)と 石の説明板,それに 非常に古い石碑が並んでいる。標識は 坂名とともに 歌が刻まれている。
 古い石碑は 風化して文字は読み取れないが,説明板によると「南無阿弥陀仏 百万遍 供養塔」とあり,鎌倉道の道標をかねていたらしい。

(標識)

餅井坂
  鎌倉したのみち
      行きつきて見れ共みえずもちゐ坂
      ただ藁靴に足をくはせて

(説明板)
餅井坂  もちい坂
 もちい坂は,保土ヶ谷と鎌倉を結ぶ鎌倉道の中間にありました。 文明18年(1486年)京都をでて諸国を遍歴した 聖護院興准三后は, その年の秋,浅草をでて新羽(現港北区)を過ぎ,かたひら(現保土ヶ谷区), 岩井の原(同上)をへて もちい坂にかかり,その紀行「廻国雑記」に次のように書いています。

   もちゐ坂といへる所にて,俳諧の歌
      行きつきて 見れ共みえず もちゐ坂
      ただ藁靴に 足をくはせて

 もちい坂は道中の急坂で,その峠の近くには,江戸時代は茶屋もあって, 旅人はあたりの風景を楽しみながら一服しました。
ここを過ぎたあと鎌倉道は次の附近を通っていました。
    武相国境--永谷天神--日限地蔵--舞岡--下倉田--すりこばち坂--小菅ヶ谷--新橋-- 笠間--離(はなれ)山(大船)--建長寺前--巨福呂坂--鶴岡八幡宮
    歌の意
 ようやく,もちい坂に行きついて,その坂の名にあるもちを食えるかと思ったが, もちは見えず,ただはいているわらじが,足にくいこんでいるだけである。

由来 他
命名時期
参考文献
写真 撮影日  2003年1月 撮影者   M.Ogawa

 
餅井坂 説明板
餅井坂
標識と説明板
餅井坂
説明板
餅井坂
餅井坂


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