坂のプロフィール 地域・No. 神奈川・横浜市鶴見区−18
報告者 M.Ogawa
報告日 2010年3月11日
登録日 2011年3月1日

 

坂名 手枕坂 (てまくらざか) 別名
所在地 地図g  鶴見区鶴見2丁目
目印  鶴見の総持寺の境内にある坂。鶴見短大附属三松幼稚園の東側から 総持寺の駐車場に下りる遊歩道風の坂。
坂の特徴 坂の方向  南南西に上る
長さ  90m
傾斜  やや急坂(高低差8m,平均斜度5度)
形態  左右に曲がる
標識  坂下に古い石碑が建っている。

旧蹟 手枕坂
昔シ鶴見ノ南台ノ坂ニ登ル左側ニ生麦細野新六氏ノ
専墓地アリ嘉永七甲寅年二月十六日米国人此
坂ヲ下リシ時右側ニ右墓石アルヲ一見シテ手枕ヲナシタル
状ヨリ手枕坂ト其称起レリ

旧手枕坂ハ総持寺現境内雨宮氏碑石ノ前面ヲ横ニア
リシヲ大正六年十二月,廃坂トナリ其代坂ヲ作リ換今
茲ニ手枕坂ト云々
        大正十三年甲子十一月
由来 他   坂名の由来・碑の由来について,下記文献には 概略以下のように書かれている。

【坂名の由来】

ペリーを乗せて神奈川に入港した黒船(米艦サスケハナ号)の乗員 ヒッテンセール という人物が, 監視兼保護案内人をつけられて 子安から鶴見の山手に入った。
案内人は ヒッテンセールを伴って この南台の坂を下りた。 その時 ヒッテンセールが 珍しい形の墓石をみて, 案内人宮森氏に 手枕をして見せ 目をつぶり,墓石の意味をただした。
後に この坂を「手枕坂」と称するようになった。

【石碑の由来】

総持寺の南の台に坂があり,「南台の坂」とも呼ばれていたが, この坂は 大正6年に 境内整備のため 廃坂となった。
その後,大正13年11月に その由緒により 手枕坂と命名され, 旧坂のあたりに「旧蹟手枕坂」の碑が建てられた。
その後,いつのまにか 碑の所在が不明となっていたが, 昭和48年の春ごろ,雑木や雑草に覆われていた丘に 土に埋った「旧蹟手枕坂」と書かれた碑が発見された。
昭和49年に 竜王池を埋め立てて駐車場にした際に 駐車場裏に現在の坂が新設され,碑は この坂下に移建された。
命名時期  明治時代
参考文献  『鶴見の坂道』 鶴見歴史の会・横浜市鶴見図書館/編 1991
写真 撮影日  2004年3月 撮影者   M.Ogawa


手枕坂 碑 手枕坂
手枕坂 碑
手枕坂

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