ホテルから市電で「十字街駅」まで移動。一区画を歩いて南部坂下まで行く。今日の行程は南部坂から函館公園まで。陽射しはやや強いが爽やか。歩くにはよい日和だ。
坂17 南部坂(なんぶざか)
だらだらと長い坂を上っていく。坂上に函館山に登るロープウェーの乗り場「山麓駅」が見えてきた。
坂上までは行かず途中を左折して谷地坂へ向かう。
【坂名の由来】
幕府は、外国船の蝦夷地(北海道)近海への出没や、ロシアの南下など多難になってきたため、寛政11年(1799)蝦夷地を直轄し、防衛のため奥羽諸藩に警備を命じた。日高海岸以東の警備にあたった南部藩の元陣屋がこの坂上にあったので「南部坂」と呼ばれた。 (坂標より)
坂18 谷地坂(やちざか)
元町地区の観光地の坂とは一変。ごく日常的で肩肘張らない雰囲気の坂。まわりは住宅地だ。
【坂名の由来】
この坂と道路は昭和9年の大火などでいくらか変わってこそいるが、大体においてほぼ同じ位置で江戸時代からあったもの。谷地頭(やちがしら)は昔、遊興地として有名になったので、そこに行く坂として付けられたものらしい。 (坂標より)
坂19 護国神社坂(ごこくじんじゃざか)
谷地坂を横切るとすぐに護国神社の参 道の途中に出た。ふたたび坂を上って護国神社に向かう。
【坂名の由来】
明治2年(1869)に建立された招魂社(現 護国神社)に因んだ坂名で「招魂社の坂」とも呼ばれた。別名「汐見坂」は、坂上に汐見町ができ、その町名からとったもの。「倒産坂」は坂に面して門を立てると罰が当たって“かまど”がつぶれるといわれ、昔は門を坂に面しないようにした。 (坂標より)
亀井勝一郎文学碑に寄った後、再び護国神社坂に戻り、坂下にある茶房「ひし伊」で一休み。店は蔵の中。
坂20 あさり坂(あさりざか)
高田屋嘉兵衛の像を仰ぎ見て、菓子舗「千秋庵」に立ち寄ってから、「あさり坂」の坂下へ出る。
坂下に肉屋兼すき焼店の「阿さ利」があった。坂を上ると先ほど立ち寄った亀井勝一郎文学碑の脇にでるが、坂の途中から引き返して青柳坂に向う。
【坂名の由来】
明治11年(1878)、英人ジョン・ミルン、米人エドワード・モースらが来函し、函館在住の英人ブラキストンと協力して貝
塚などを発掘したが、この坂の付近から古代人が食べたアサリ貝の殻が数多く発見されたので「あさり坂」と命名された。(坂標より)
坂21 青柳坂(あおやぎざか)
傾斜は緩やかだが長い坂。坂上まで上る。
坂の途中に別名の「聖天坂(しょうでんさか)」の由来となった天台宗天佑寺があり、堂内に大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)が祀られていた。
【坂名の由来】
町名の青柳町に由来する坂名。昭和40年まで坂上に春日町があったことから「春日坂」ともいわれた。 (坂標より)
坂22 みやま坂(みやまざか)
「青柳坂」の坂上を、さらに西へ上る坂。 「みやま坂」の坂下を北に行けば石川啄木 旧居跡。道を反対側に100m進めば函館公園だ。坂標は見あたらなかった。
【坂名の由来】
坂名の由来は不明。
← 青柳坂の坂上からみたみやま坂。
坂23 すりばち坂(すりばちざか)
函館公園の北脇を公園に沿って西に上る坂。
【坂名の由来】
函館公園の中に「すりばち山」と呼ばれる小山があり、その横の坂ということから「すりばち坂」と呼ばれる。
写真の左隅に小さな坂標が立っていた。
函館公園で記念写真を撮って今回の「函館の坂」巡検を終了。
市電「青柳町駅」まで一緒に行き、そこでそれぞれの目的地に向って解散する。
初夏の函館の坂は明るく美しかった。また訪ねたい坂の街でした。