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2009年1月12日
品川区坂雑感
今回も「坂歩き好き」の同志が毎月の第1土曜日に集まり、3回にわたって品川区の坂を歩きました。坂学会の調査では品川区の坂で名前がついている坂は26ケ坂ありますが、我々は今回、このうちの21ヶの坂を踏歩しました。そこで、今回は、昭和62年(1987年)に、品川区が区民の意向をもとにして制定された「しながわ百景」の名所に関連した坂を中心にそれらのいくつかを紹介したいと思います。
品川区はご存知の通り、武蔵野台地の東端部に位置しています。JR品川駅、京浜急行鮫洲駅、JR大森駅の各駅を結ぶラインを境にして西側に台地が分布しています。そして、目黒川や小水路などによって谷地が複雑に刻まれていて、ここに様々の坂があります。そして、品川は、いうまでもなく、江戸時代には東海道の最初の宿場町として、五街道で最も交通量が多く、賑わいのあるところとして栄えました。江戸後期には1600軒の宿場があり、7000人が住んでいたといわれます。上り下りの旅人も多く、大変賑わったようですが、海も近く漁業も盛んで神社仏閣も多く、浮世絵にも紹介されるように風光明媚な地として多くの人が訪れた地だったようです。かような当時の面影がいろいろの坂のなかで偲ばれましたのはメンバーの全ての喜びでした。
1. 桜の名所の御殿山の坂
北品川4丁目9と5丁目の間を上る坂です。この坂の名前は、このあたりが昔は徳川藩の御料地でしたから、それに因んで名付けられたようです。聞くところによりますと、以前はこの坂は現在より急な坂でしたとの事です。戦前と戦後にかけて道を修理し、勾配を緩和しましたようですが、未だ、比較的急な坂です。企業ビルに沿ってカーブを描いていて、トウカエデ並木が美しく印象に残る感じの坂です。ここは、江戸時代からの桜の名所で、今も落ち着いた佇まいでゆったりとくつろぐ事ができます。この坂は品川区の坂の中で一番美しい坂と言って過言では無いのではないかと思います。そしてこの坂の上は高級住宅街であります。2. 八ツ山の坂
北品川6丁目5と5丁目1の境を東に上る坂です。坂は穏やかにカーブを描いており、広くてゆったりしていますが交通量が多い。このあたりは武蔵野台地の突端にあたる丘陵で、海岸に突き出た州が8つあったところから八ツ山と呼ばれました。この地名がこの坂名の由来になっていますが、坂はよく整備されていて、石垣が美しいのが印象的です。坂の上周辺は俗に言う「ソニー村」で、ソニー(株)周辺施設が集中していて忙しい雰囲気です。
御殿山の坂 八つ山の坂 (2001年撮影)3. エンジュ並木のゼームス坂
南品川5丁目交差点から南に上る延長400メートルの勾配3.5度の緩やかな坂です。坂道の通りは「ゼームス坂通り」と呼ばれています。この坂は元は「浅間(せんげん)坂」と呼ばれ、かなり急な坂だったようです。片側は切り通しで崖の向こうには品川の海がまじかに迫って見え風光明媚だったようです。この坂の途中には日本海軍創設に貢献した英国人のジョン・ジェームスが邸宅を構えていましたが、急坂に難儀して、私財を投じて穏やかな坂に改修しました。したがい、この坂道通りは「ゼームス坂通り」と呼ばれました。この坂道の中ほど西側に坂道に面して「三越ゼームス坂マンション」がありますが、この入り口に残るケヤキの大木と苔むす石垣に当時の面影を偲びました。この対面に「智恵子抄」で有名な「レモンの碑」が作られていて、観光名所になっています。この坂は東京の名が付いた坂の中で唯一の外人名のカタカナの坂が残っていますのは、今も民衆の当時の感謝の念が生きているのでしょう。4. 眺望がすばらしい小山八幡神社近くの江戸見坂
小山6丁目18番〜24番にある坂ですが、この坂の上にある小山八幡神社は「しながわ百景」に選ばれています。それは此処からの眺望が良く品川区の一番の高台にあるからと思いました。散策中にお会いした地元の方の話によれば、かつては、ここから江戸市中が見渡せたようですので「江戸見坂」と呼ばれたようです。もっとも、当時は江戸市中だけでなく大井・大森の海や富士山も良く見えたようです。今日も此処からは東京タワーが見えました。そして、この隣の摩耶寺から羽田空港に発着する飛行機の雄姿が眺められるというような高台でありました。この神社の境内には品川区の天然記念物に指定されている2本のシイノキがありましたが立派な佇まいでした。また、この坂下には品川区の古いタイプの「江戸見坂」の道標がありました。
ゼームス坂 江戸見坂5. 今も語り継がれているカナリヤ坂
旗の台5丁目8と7の間を南に上がる坂です。品川区の資料に書かれていますが、昭和30年ごろに、この坂の近くにある荏原第五中学校の校長と当時存在していた小鳥店の店主とが相談して坂の名前を決めたとの話で、しながわ百景に選ばれています。かかる坂名の由来が何時までも語り継がれる事を望みたい気持ちです。坂は幅4メートルほどの坂で、穏やかな傾斜が続く坂で、坂周辺は閑静な住宅街で、しながわ百景に肯いた次第です。尚、名付け親の小鳥店は今はないようですが、それにしても鳥の名前がついた坂はここだけでしょう。
カナリヤ坂 カナリヤ坂(しながわ百景)6. 戸越銀座周辺の坂
「戸越銀座」は、中原街道から入り、東急池上線の戸越銀座駅、そして桜田通りを横切って三つ木通りと名前を変えるまで、約1,600メートルの間、店舗が途切れることのない街並みです。この戸越銀座通りに向けて、南の高台から何本かの坂が下ってきています。その名前を列挙しますと、西から、清水坂、宮前坂、八幡坂、三井坂、平和坂です。そして、これらの坂はしながわ百景の戸越八幡神社に由来するものです。この戸越銀座は「安い、何でもある」商店街との評判です。銀座のレンガを使って下水道工事を施し、その縁で戸越銀座と名乗ったそうですが、「○○銀座」の第一号と聞きました。ところで、ここの店舗数は2百数十軒だそうです。さて、此処の坂を紹介します。清水坂は戸越銀座の熱気を静めるような居住地区の中の坂です。坂名の標識はありませんが、お医者さんの名前に清水坂と書かれていました。宮前坂には標識がありますが、名前の通り八幡坂の西隣りの坂です。三井坂は住宅地の生活道路ですが、上っていくと右手に森が見えてきて、そこに、昔大正時代には「三井文庫」がありました。そして、最後に平和坂ですが、第二次大戦後、空襲の戦禍を免れた商店会の有志によって「平和通り商店会」が作られたそうですが、その以後この坂が「平和坂」と呼ばれたようです。この坂には珍しく坂名を記したステンレス製の角柱が建てられています。この平和坂の商店街入り口の半円形のアーチには「平和坂」と大きく書かれていて目に引かれますが,この商店街は銀座通りと違った雰囲気です。
三井坂 平和坂7. その他、興味を魅かれた坂
しながわ百景には入っていない仙台坂と旧仙台坂と百反坂をご紹介します。@ 仙台坂と旧仙台坂
仙台坂は青物横丁交差点から南品川5丁目12番に上る坂です。坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸守の下屋敷があったのでこの坂名なったと聞きました。坂上には370余年前、江戸在勤の家来の為に始めた仙台味噌の工場が今もあります。もともと仙台坂は、この坂の南方、岩倉具視の墓がある海妟寺(南品川5丁目)と芭蕉の歌碑が多くある泊船寺(東大井4丁目)との間にある坂でした。後に青物横丁からの道路の方が道幅が広くなり、交通量が多くなったため坂名が移転しました。この元の仙台坂は「旧仙台坂」または「くらやみ坂」と呼ばれていますが、かかる意味においては、この坂はユニークな坂と思います。A 百反坂
大崎2丁目7番・西品川3丁目21番の坂です。昔はこの坂は階段であったため百段と呼ばれていましたが、後に路面が平坦になっても名称だけが百反となって残りました。坂の傾斜勾配は4.3%だそうで平坦ですが、蛇のように約400メートルの蛇行した坂です。その他にも、直線のスロープの急な坂が旗の台にある鏑木坂です。これぞ「坂」という雰囲気を漂わせていました。
以上
(小谷 武彦 記)
(文中の写真 by M.Ogawa)