江戸坂見聞録
松本 崇男



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地蔵坂じぞうざか   東京都荒川区西日暮里三丁目


広重『名所江戸百景・日暮里諏訪の台』

諏方神社の境内にはいくつもの床几が並べられている。二人連れ、三人連れの客で席はいっぱい。春の一刻を花見で楽しもうというわけだ。茶屋に頼めば茶でも団子でも好みのものを運んでくれる。花見酒と洒落るのもいい。花もいいが眺めはさらに格別だ。台地の下の、花に囲まれた家々は日暮里の集落であろうか。眼下に広がる一面緑の田園のかなたに筑波山が見える。この景色を目の前にすれば江戸っ子が「ひぐらしの里」と呼んでこの地を愛したのもうなずける。

『再校江戸砂子』(明和9年・1772)は、諏訪の台からの眺めを「此辺日くらしの里といふ。近年とりわき四時に遊人おほく、ことに此処よりの眺望田園はるかにひらけ、荒川の流水帯のごとく、行かふ帆白くつらなり 艮に筑波の二峰、黒髪の山々遠く画出せるに似て絶景なり。中にも春は上野・飛鳥の花ざかりには貴賎群をなし、茶店軒をつらねて当時江都遊観第一の地とす。」と記している。

  『江戸名所図会』日暮里惣図其三の部分 
      図の上部が浄光寺で右端に本堂、中央に六地蔵と書き込みがある。
      六地蔵の文字左側に描かれた一本松辺りが地蔵坂の位置にあたる。

十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)(宝暦十二年・1762?〜天保三年・1832)もまた、この地を訪れた一人で『遊歴雑記』(文化十一年・1814〜文政十二年・1829)で「例年春の頃は崖通りに出茶屋床をならべ香煎湯(こうせんゆ)の匂いになまめける少婦は、前垂れに花をかざりて客を待てば、都鄙(とゆう)の男女春興に乗じてうかれきたり、床几せばしと日終わる迄逍遥せり、げにも此処の眺望、南は本所・行徳辺より、北は越谷・粕壁の辺までを一望の中にせっして、風景いふべからず(後略)」と述べている。それぞれに書かれた時代は異なるが、この地の景観がいかに江戸っ子に親しまれていたかわかるというものだ。

広重が描いた『名所江戸百景・日暮里諏訪の台』図中に、二本の杉の木の根方の坂を上ってくる人物が描かれているが、この坂が地蔵坂である。「尾久辺の農家の谷中、本郷方面へ抜ける道でもあった」(『新修荒川区市』)という。
諏方神社の南隣に真言宗の寺、法輪山浄光寺がある。もとは諏方神社の別当寺であったもので、明治になって神仏分離令によって独立した。浄光寺は眺望にすぐれ、とくに雪景色がすばらしかったことから、「当寺の書院は、高崖に架して眼下に千歩の田園を見下ろせり。風色もっとも優雅にして四時の眺望たらずといふことなし。中にも雪のながめ勝りたれば、世に称して雪見寺ともなずくとかや。」(『江戸名所図会』)と激賞している。諏訪神社と同じく豊島左衛門尉経泰の創建とも、太田道灌の建立とも伝えられる。

浄光寺はまた、江戸六地蔵第三番の寺として参詣人を集めた。江戸六地蔵は、空無上人が夢のお告げで造立を発願したというもので、『江戸名所図会』に、「元禄四年(1691)に開眼供養す。六地蔵の一なり」とある。現在の地蔵菩薩立像は文化十年(1813)に再建されたものだが、地蔵坂の坂名は、この地蔵尊に由来している。地蔵尊は現在、寺を入ってすぐ左側に露座の状態でまつられているが、「地蔵堂、同じく門のかたわらにあり。本尊は紫銅にて立像八尺の地蔵尊なり。(略)」(『江戸名所図会』)とあるように、昔は地蔵堂に安置されていたようだ。場所は、現在の位置よりやや諏方神社よりであった。(『江戸名所図会・日暮里惣図其三』部分図参照)

江戸時代の坂の形状については、よくわかって いない。現在の地蔵坂は、諏方神社境内の東端を東へやや下り、そこで鉤の手に屈曲して北向きにJRの線路に並行して下る急坂である。現在の坂の形になったのは鉄道敷設の工事がはじまり、岡が削られて急な崖となったものと考えていいと思う。工事の完成は明治18年(1885)であることから、現在の坂の形になったのはこの時期であろう。それ以前の形状は推測するしかないのだが、急坂ではあるが現在よりやや緩やかな坂であったと思われる。左図(広重『江戸十二景・道灌山下』)は、地蔵坂のある諏訪台より2〜300mほど北にある道灌山とその山下を描いたものだが、諏訪台から浄光寺辺も、おそらくは図と同じような風景であり、地蔵坂も上図のような斜面を下る坂だったのではないだろうか。

諏方神社の東端の崖の上に立つと、今では新幹線が走れ抜け、ひっきりなしに電車が通るのが見下ろせるだけだが、それでもどことなく昔の面影が残っているように思われ、「ひぐらしの里」の美しかった時代がしのばれるのだ。地蔵坂はそんな坂である。


 現在の地蔵坂 

坂上は諏方神社、眼下にJR西日暮里駅が見える。坂は途中で鉤の手に折れて、坂下でJRの線路の下をくぐるトンネルにつながっており、直接西日暮里駅 へは出られない。

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