都電の走った坂道・今昔(13) 三宅坂
三宅坂は皇居のお堀端の景観を代表する坂道である。戦前から戦中を含め戦後にかけて35年間東京に住み、詩人であり画もよくし、東京への愛情あふれる絵を残した仏人のノエル・ヌエット(版画家、名誉都民)も『東京のシルエット』の中でこの坂付近の景観を激賞している。その通り三宅坂は江戸時代から景勝の地として知られ、スケールの大きな景観を楽しめる坂道で、筆者自身も最も好きな坂と言って差し支えない。 戦前の地図では嘘が画かれているぐらい重要な地域でもあり、三宅坂とは参謀本部の別称でもあった。ところが右の写真の情ない姿を見て欲しい。1946年3月の写真で、坂名の由来となった正面の三河田原藩三宅氏の屋敷跡(つまり衛戍病院などの施設跡)は何もなく進駐軍のカマボコ兵舎が立ち並んでいる。
坂を下ってくる電車は11系統で、新宿から手前右の銀座・勝鬨橋・月島へと向かっている。他に明治に開通した左手の青山通りからきて右上に向かう渋谷-須田町の10番の電車、同じく左手からきて手前右に向かう渋谷-浜町中ノ橋の9番の電車があり、頻度の高い路線でもあった。 |