都電の走った坂道・今昔
原 征男
 (1)赤坂、富士見坂(水坂)  (2)安藤坂(網干坂)  (3)相生坂(昌平坂)  (4)高力坂
 (5)日吉坂  (6)中目黒・新道坂近く  (7)東京タワー・榎坂近く  (8)春日町・西富坂
 (9)焼餅坂(赤根坂)  (10)乃木坂あたり  (11)芝の切通坂近く  (12)土器坂を下る
 (13)三宅坂  (14)渋谷・金王坂  (15)下大崎坂(相生坂)  (16)志村坂
 (17)霞坂  (18)富士見坂(不動坂)  (19)東京を代表する九段坂

 

 都電の走った坂道・今昔(13)
三宅坂

 三宅坂は皇居のお堀端の景観を代表する坂道である。戦前から戦中を含め戦後にかけて35年間東京に住み、詩人であり画もよくし、東京への愛情あふれる絵を残した仏人のノエル・ヌエット(版画家、名誉都民)も『東京のシルエット』の中でこの坂付近の景観を激賞している。その通り三宅坂は江戸時代から景勝の地として知られ、スケールの大きな景観を楽しめる坂道で、筆者自身も最も好きな坂と言って差し支えない。
 また、戦前の三宅坂周辺は陸軍の施設で知られ、現在最高裁のある隼町の地には衛戍病院や陸軍施設、国家前庭園の地には陸軍省、さらに参謀本部など軍の中枢が置かれていた。

 戦前の地図では嘘が画かれているぐらい重要な地域でもあり、三宅坂とは参謀本部の別称でもあった。ところが右の写真の情ない姿を見て欲しい。1946年3月の写真で、坂名の由来となった正面の三河田原藩三宅氏の屋敷跡(つまり衛戍病院などの施設跡)は何もなく進駐軍のカマボコ兵舎が立ち並んでいる。

 坂を下ってくる電車は11系統で、新宿から手前右の銀座・勝鬨橋・月島へと向かっている。他に明治に開通した左手の青山通りからきて右上に向かう渋谷-須田町の10番の電車、同じく左手からきて手前右に向かう渋谷-浜町中ノ橋の9番の電車があり、頻度の高い路線でもあった。
 自動車も1台の駐留軍ジープしか見えない。翻って下の現在の写真では、正面に威容を誇る最高裁判所、その右には国立劇場とまさに今昔の感のある写真であり、上のようなことには二度となって欲しくない写真でもある。



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