都電の走った坂道・今昔(17) 霞坂
笄(こうがい)川は南青山・根津美術館の池を水源とし、現在の外苑西通りに平行する50m程西の道路が河道になっていて現在は暗渠、これに架かる笄橋の名を由来とする笄町があり、交差点から西に向かう急坂を現在も笄坂と呼んでいて、霞坂とペアになった坂道である。 下の写真は現在の西麻布交差点から眺める霞坂である。六本木通りの広い坂道であったが、現座は首都高と立体交差が二重高架になっていて、坂道を簡単には感じることができない。最下の写真は霞坂の北側の部分を写したもので坂道の様子がわかる。交差する電車はもとは道路の真中を走らず専用軌道のようになっていたが、外苑西通りの整備にともない解消。 6番の電車は汐留→溜池→六本木→霞町→南青山六丁目→渋谷、と走っていて、高速道路の建設により線路がいつも変更されていたが、昭和42年12月に廃止されてしまった。霞坂を電車が走ったのは大正3年9月だったので53年余の命であった。一方7番の電車は明治39年に開通、昭和44年10月に廃止されたので、寿命はこちらが長かった。 6番の電車は渋谷から従姉の家のある福吉町までよく利用したので懐かしく、また現在も6番の後継の渋谷−新橋のバスを利用することも多いので親近感を覚える坂道である。 上の写真は『都電百景百話』(大正出版・雪廼家閑人)(41、12 撮影)からお借りし、下の写真2枚は筆者撮影(H26、4)。 |