都電の走った坂道・今昔
都電の走った坂道・今昔(8)
春日町・西富坂
本郷通りを東から西へ向かう。真砂坂(東富坂)を下って春日町の交差点、ここで白山通りと交差し、少し西で千川通りと交差し、次は富坂(西富坂)を上って伝通院方向へと進むことになる。したがって、「春日町」は四車線以上の通りが交差する交通量の大変多い地である。地下鉄についても、本郷通りの下を大江戸線、白山通りの下を三田線が通っており、千川通りの下を南北線が、すぐ近くを丸の内線が高架で通っている。
春日町は都電にとっても多くの路線が集まる枢要な地点であった。白山通りを北へ向かう「2系統(三田-白山曙町)」「18系統(神田橋-志村坂上)」「35系統(田村町1丁目-志村坂上)」、 春日通りを西へ向かう「16系統(錦糸町駅前-大塚駅前)」「39系統(厩橋-早稲田)」、さらに白山通りから春日通りへここで左折する「17系統(数寄屋橋-池袋駅前)」と実に6系統の電車が行き来していた。つまり都電時代はもちろん現在も交通の要衝なのである。したがって上の写真では実に6両の電車が写っている。西から来た17番が南へ向かう線路がかなり手前で分かれて右折し、乗降車のため停車中である。この線路のポイント操作のための「操作所」が塔として安全地帯にあり、停留所名は「文京区役所前」である(因みに現在の地下鉄駅名は「春日」)。この操作所の存在は大きな交差点のシンボルで、都会的な光景であった。
文京区役所の場所は上の写真の時代と変わらないが、建物は立派になって名前も文京シビックセンターとなっている。もともと道路が広いので富坂のスロープも以前と同様に眺めることができる。しかし、道路両側に並ぶ建物はほとんどが建て替わり、高くなっているが、もっと大きく変貌している場所に比べると電車が消えた以外は写真で見ると大きな変化が少ない感がある。実際はシビックセンターの姿やその隣の後楽園の変貌が視野に入るので写真以上に変化を感じる。さらに上の写真は夏、下は冬なので人びとの恰好はだいぶ季節感が異なる。
上の写真は「都電百景百話」(雪廼舎閑人、大正出版)からおり借りした(写真撮影S42.7)。中の写真は富坂を春日にから上ってくる16系統、右手に区役所の時計塔が見える。3000形。下の写真は筆者、H22.2撮影。