都電の走った坂道・今昔
都電の走った坂道・今昔(7)
東京タワー・榎坂近く先日坂の会で歩いた麻布台の外苑東通りの終わり近くの東京タワーをのぞんでいる。左に見えている建物はその昔郵政省でもあった麻布郵便局と日本郵政の東京支社が入っている、昭和初期の建築でなかなか風格がある。右側にはロシア大使館があり、電車が走っている外苑東通りはこの先下りとなり飯倉の交差点となる。これが榎坂で、その先永井坂の上りと続く。さらに先の右側が、和風高級社交倶楽部であった「紅葉館」の跡地に立つ東京の観光スポット・東京タワーである(海抜23mの地に333mの塔が建つ)。昭和43年(1968)の撮影であるが、タワーの足元まではっきりと見通すことができる。
この頃ライトアップははじまっていたが、全体ではなく、輪郭だけを浮かびあがらせる方法であった。
走行中の33系統の電車は、四谷3丁目から、青山1丁目、六本木、飯倉1丁目、神谷町を経て浜松町1丁目に至る。13停留所、5.7kmという都電の最短路線であった。それでも郵政省への通勤客などで結構混んだと言われる。末期には渋谷から浜町中ノ橋に行く9系統も通っていたが、こちらは42年には廃止になっていた。そしてこの路線は昭和44年(1969)10月に廃止になった。
走っている電車は8000形、昭和30年代初めに耐用 10年として、軽量・安価で131両製作された車両である。 新製の時から、新車としてよりも、細かなビビり振動があ ったことが印象に残っている。
上の43年の写真は休日に路上で低位置から撮影した 由であるが、右の現在の写真は週日に撮影したのでクル マの列が切れずに困まり、信号ストップの時に撮影した。 現代の写真では東京タワーは、その下部の鉄骨の拡が りはすっかり隠れてしまっている。郵便局の建物は大きな変化はないが、それ以外の建物が高く、新しくなっているのは東京の特徴で、右手の街路樹もまた成長しており、歩道には植え込みが登場している。ただ周辺の街の雰囲気は大きくは変化していない。東京スカイツリーも建設が進んでおり、こちらは高さが634mあるので、東京タワーの地位は程なく変わりそうで、少し寂しい気がする。
上の写真は「都電百景百話」(雪廼舎閑人、大正出版)からお り借りした(写真撮影S43.10)。
電車は33系統、広尾車庫所属。右の写真は筆者、H21.10撮影。